⑥ 西国巡礼道を走る。(12番岩間寺~15番今熊野観音)

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20151122-221437(1)

プロフィールマップ

GPSログ解析

開始日時2015/11/22 07:15:53終了日時2015/11/22 16:33:47
水平距離93.58km沿面距離93.86km
経過時間9時間17分54秒移動時間6時間25分34秒
全体平均速度10.09km/h移動平均速度14.61km/h
最高速度44.95km/h昇降量合計1961m
総上昇量766m総下降量1195m
最高高度466m最低高度-7m

レポート概要

今回のミッションは西国12番岩間寺から13番石山寺を経て14番三井寺経由15番今熊野観音への順礼道を走る。
11番醍醐寺から12番岩間寺への順礼道はハイキング道となっていてチャリでの走破は無理と判断した。

かつて徒歩で踏破しているので「まっいいか?」http://iyasinohigaeritabi.web.fc2.com/tabi/saigoku33/kiyouto/11_12_13_jiyunreidou.htm

岩間寺まではタクシー輪行を利用して一騎に山を下り琵琶河岸の13番14番を制覇した。

写真レポート

西国12番岩間寺からの眺め

2015/11/22 07:26:35

西国12番岩間寺からの眺め

関連リンク

今回は西国12番岩間寺~13番石山寺~14番三井寺~15番今熊野観音をめぐる。
11番醍醐寺から岩間寺までは、徒歩でないと通れそうに無いのでかつて走破した記録をリンクしておきます。
http://iyasinohigaeritabi.web.fc2.com/tabi/saigoku33/kiyouto/11_12_13_jiyunreidou.htm

朝の雲海が広がりいい感じの眺めです。



岩間寺紅葉

2015/11/22 07:28:59

岩間寺紅葉

岩間寺は標高が高く気温の差がsるのか、紅葉の色合いが濃くてきれいです。



岩間寺本堂

2015/11/22 07:53:02

岩間寺本堂

現存の「本堂」(左の写真)は天正5年(1577年)に再建されもので、寛永年間(江戸中期)に解体修理されたという。



巡礼道

2015/11/22 08:30:26

巡礼道

石山寺の前の旧道を南へ向かい、京滋バイパスと交差する手前(石山寺3丁目29-16付近)に立っています。高さ1.38mで1785年に建立され、「右・いはま道 ・すぐ宇治道 左・石山道」と刻まれています。

巡礼道として古より使われてきたことでしょう。



石山寺

2015/11/22 08:36:00

石山寺

西国三十三所観音霊場の第13番札所。奈良時代後期に、聖武天皇の発願により、良弁によって開かれた。広大な境内には、寺名の由来となった天然記念物の硅灰石(けいかいせき)がそびえている。国宝の本堂・多宝塔をはじめ、経典・聖教類、仏像、絵巻など多くの国宝、重要文化財がある。
紅葉がすばらしい。



石山寺本堂

2015/11/22 08:42:24

石山寺本堂

石山寺は天平19年(747年)、聖武天皇の発願により、東大寺の開山である良弁(ろうべん)僧正が開いたとされる。天平宝字5年(761年)には伽藍の整備が行われ、本堂を始めとする各種の堂宇が建てられた。平安時代には醍醐寺の影響を受けて密教化が進み、また貴族の女性の間で石山詣が流行した。清少納言(せいしょうなごん)による「枕草子」、藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは)による「蜻蛉日記」、菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)による「更級日記」、和泉式部(いずみしきぶ)による「和泉式部日記」など、数多くの平安文学に石山寺の名は登場している。また、石山寺越しに見る秋の月は、近江八景の一つ「石山秋月」として名高い。



石山寺多宝塔

2015/11/22 08:56:44

石山寺多宝塔

藍の中央に見られる荒々しい珪灰石の後方高台には、鎌倉前期に建てられた多宝塔がそびえている。多宝塔とは下層が方形、上層が円形の二重塔で、大日如来を祀る日本独自の塔だ。元は高野山の金剛峰寺に建立され、その後に各地の密教寺院に広まったとされる。石山寺の多宝塔は、源頼朝の寄進を受けて建立されたものと伝わっており、須弥壇の墨書より建久5年(1194年)に建立された事が分かっている。これは現存する多宝塔の中で最古である。総高は約17メートル。下層には幅の広い裳階が付き、組物は出組である。漆喰塗りの亀腹から突き出た上層は、軒が非常に深く四手先の組物も見事。



石山寺紅葉

2015/11/22 09:02:24

石山寺紅葉

硅灰岩越しに見える紅葉は見事です。



三井寺観音堂

2015/11/22 09:50:52

三井寺観音堂

三井寺が巨刹なので、本堂では西国の御朱印はいただけない。
本堂からだいぶと南に離れた観音堂にてもらえます。




三井寺観音堂本堂

2015/11/22 09:51:56

三井寺観音堂本堂

西国三十三箇所観音霊場の第十四番礼所として、篤く信仰されています。本尊は如意輪観音。 貞享三年(1686)に火災にあい、元禄二年に再建された大きな堂です。

礼堂・合の間・正堂からなり、内部には多くの絵馬が奉納されています。 その中には観音堂再建の様子を描いた「石突きの図」や、その「落慶図」も残されています。



三井寺紅葉

2015/11/22 10:07:33

三井寺紅葉

三井寺でも紅葉がきれいでした。



東海道小関越

2015/11/22 10:21:47

東海道小関越

小関越の道は、大津と京都を結ぶ古道の一つで、山科で東海道・東山道と分かれた北陸道の道筋であった。東海道・東山道が通る逢坂の関を大関と呼ぶのに対し、北陸道の道は小関と呼ばれた。
小関越えの道は三井寺の近くを通り、京都からは三井寺参詣の道として利用された。



旧東海道(山科)

2015/11/22 10:31:49

旧東海道(山科)

旧東海道に沿いにある山科の家並は虫篭窓や千本格子の落ち着いた町屋が並ぶ。
適度に都市化されていて自転車で走るにはいい感じの道が続く。



今熊野観音

2015/11/22 11:09:47

今熊野観音

弘仁年間(825年頃)に弘法大師が熊野権現の化身から観音霊地の霊示を受け、嵯峨天皇の勅願により観音像を刻んで本尊とし草堂に安置したのが当寺の創始といわれている。



今熊野観音本堂

2015/11/22 11:15:17

今熊野観音本堂

 「本堂」は正徳2年(1712年)に宗恕祖元律師によって建立されたものといわれており、寺の規模に比べ二重屋根の堂々とした造りで、かつての大寺の雰囲気を漂わせている。



今熊野観音紅葉

2015/11/22 11:20:15

今熊野観音紅葉

今熊野観音の紅葉は見納め時期でしたが、色合いがきれいでいい感じでした。



琵琶湖疏水 「いちのはし」

2015/11/22 11:50:40

琵琶湖疏水 「いちのはし」

琵琶湖から引かれた疎水にかかる橋。
橋の向こうは師団街道があって怖いよ、負けずに自転車を下ろして走ったけどね。



伏見の町家

2015/11/22 12:18:14

伏見の町家

古くから良質の地下水に恵まれる伏見では、酒造りが盛んに行われてきました。月桂冠、黄桜、玉乃光などで知られる京都の酒は、全てこの町が生み出しているのです。
伏見の町が開かれ、交通の要衝として発展を遂げたのは、豊臣秀吉の時代です。この時代に淀川と高瀬川を結ぶ水運の利便性が向上し、商人たちで賑わったと言います。人の往来と名水が組み合わさった事で、いつしか酒造りの町として知られるようになりました。
富の集積があったのですばらしい町家が残る。



伏見寺田家

2015/11/22 12:19:26

伏見寺田家

寺田屋(てらだや)は、慶長2年創業の船宿で、現在は旅館と史跡博物館になっています。薩摩藩の定宿であった。1862(文久2)年島津久光の命により薩摩藩の尊攘派9名が殺害された寺田屋事件、1866(慶応2)年坂本龍馬が幕吏に襲撃をうけ危うく難を逃れた坂本龍馬襲撃事件の場所です。
すごい観光客でした。



洞ヶ峠(東高野街道)

2015/11/22 13:42:47

洞ヶ峠(東高野街道)

東高野街道は巡礼の道でもあったがまた戦国期には軍事の道でもあった。
洞ヶ峠は東高野街道の山城、河内の国境にあり、南峠とも言う。地理的には京を遠望し、河内平野を控えるため、交通・戦略上の要地として重要視され、南北朝時代にはしばしば陣所が置かれ、争奪戦が繰り広げられた。
本能寺の変の後、明智光秀が羽柴秀吉と山崎の合戦で対峙した際に、光秀に助勢を乞われた大和郡山城主の筒井順慶がこの峠まで出陣し、戦況の有利な方に味方をすべく観望していた場所として有名である。
今は案内なども無くてそのうち「洞ヶ峠を決めこむ」なんて言葉は死語にあるんでしょうね。



明治の道標

2015/11/22 13:54:39

明治の道標

高野山参詣のために整備された街道であるが、その歴史は古く平安時代の官道である南海道に遡る。南海道は。律令国家体制の崩壊と共に機能を失墜しつつあったが、高野聖の台頭を機に東の高野街道として再び重要視され、平安時代後期から室町時代の末まで貴族による高野詣での頻繁な往来で賑わった。以後も慶弔6(1601)年に京街道が整備されるまで、山城と河内を結ぶ幹線道であった。
洞ヶ峠から高野道・招堤新大池・出屋敷・中宮大池・交野市郡津を経由して茄子作を通過するが、出屋敷は町並みと共にかつての面影を今に留めており、旧街道に臨む多田家の生垣には、人々の往来を偲ぶように道標がひっそりと佇んでいます。  枚方市教育委員会



本尊掛松跡

2015/11/22 14:14:17

本尊掛松跡

東高野街道は大変古くから利用されてきた道だけに、
(おそらく明治期までの1000年間くらいは使われた)
いろいろな遺構がたくさんある。

1321年(元亨元年)融通念仏宗中興の法明(ほうみょう)上人が、男山八幡の霊夢を受け、深江の庵室(現大阪市東成区南深江 法明寺)より、 東高野街道を男山に向かう途中、当地で同じ霊夢によって天得如来を奉じて深江に詣でる途中の八幡宮よりの使者に出会い、『十一尊天得如来』の画像を授けられた。
 法明上人は歓喜のあまり尊像を傍らの松に架け、称名念仏を唱え踊りだしたという。これが融通念仏宗の念仏踊りの始まりとされされている。