⑦ 西国巡礼道を走る。(16番清水寺~20番善峰寺)

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20151205-180033(1)

プロフィールマップ

GPSログ解析

開始日時2015/12/05 07:37:21終了日時2015/12/05 16:29:52
水平距離91.12km沿面距離91.78km
経過時間8時間52分31秒移動時間6時間20分44秒
全体平均速度10.34km/h移動平均速度14.46km/h
最高速度70.99km/h昇降量合計2133m
総上昇量1020m総下降量1113m
最高高度349m最低高度-14m

レポート概要

今回のミッシンは西国16番清水寺~20番善峰寺への走破である。

大都会京都市内をめぐるポタとなり見所が多すぎて「困っちゃうなー」となります。
行きは京阪で輪行して、清水寺は早朝からすごい人出で中華パワーにへとへとです。
市内を機嫌よく流して善峰寺へと向かいますが・・・此処も京都ヒルクライムの最上級クラスの勾配でしんどいです。

写真レポート

今熊野観音

2015/12/05 07:49:26

今熊野観音

前回終了した今熊観音から昔の巡礼道を進んで清水寺・革堂・六角堂・善峰寺をめぐるのが今回のミッション。



清水寺の紅葉

2015/12/05 08:35:41

清水寺の紅葉

清水寺は早朝から観光客でごった返していた、ご朱印をもらって早々に退散したが、紅葉が美しかった。



六波羅密寺

2015/12/05 08:51:21

六波羅密寺

醍醐天皇の第二皇子光勝空也上人は、当時京都で流行していた悪病を退散させるため、十一面観世音菩薩を刻み、天暦5年(951年)に堂を建て、この観音像を祀ったとされ、これがこの寺の創始と伝えられている。



六波羅蜜寺

2015/12/05 08:53:39

六波羅蜜寺

「六波羅蜜寺」は町の中にあり、一般の民家が寺の傍まで迫っており、車の往来する道路も寺に近接している。従って、ここには普通よく見られるような山門もない。



鼎

2015/12/05 09:01:48

鼎は三つの足と二つの耳をつけた金属製の釜のことで、古代の中国で
は料理は勿論、表彰の具、釜ゆでの刑具などとして用いた。

六波羅蜜寺に来たならば空也上人像と清盛像は見ておきましょう。



鴨川を渡り現世へ

2015/12/05 09:05:44

鴨川を渡り現世へ

かつては鴨川から東側はこの世の世界では無かった。
鴨川を西へ渡るこの世へなる時代が長く続いていた。



革堂 西国第十九番

2015/12/05 09:16:56

革堂 西国第十九番

革堂行願寺は一千年の歴史をもつお寺です。創建当時は一条通りにありました。戦乱や火災でいくたびも焼け、場所を替えつつも、人々の熱烈な信仰によってつねに都の中心部に再建されました。現在も西国観音霊場の第十九番札所として全国に知られる名刹です。



霊ゆう山 行願寺

2015/12/05 09:19:26

霊ゆう山 行願寺

街中にあるお寺で訪問時は参拝者が途切れた時間帯であるらしく、ひっそりといていた。



西国第十八番 

2015/12/05 09:38:39

西国第十八番 

六角堂は「西国三十三所巡礼」の十八番目の札所です。また、「洛陽三十三所巡礼」の一番目の札所でもあり、聖徳太子の護持仏と伝えられる『如意輪観音菩薩』を本尊として全国から信仰を集め、全国各地から多くの方が巡礼に訪れています。



紫雲山 頂法寺(六角堂)

2015/12/05 09:47:14

紫雲山 頂法寺(六角堂)

紫雲山頂法寺は、京都中区に位置し、聖徳太子が創建したことで有名なお寺です。
本堂の屋根を上から見ると六角形の形をしていることから、「六角堂」として広く知られています。
また生け花発祥の地としても知られ、現在は華道家元池坊総務所があり、生け花文化発展の為に力を注いでいます。



東寺 南大門

2015/12/05 10:06:11

東寺 南大門

九条通に面する南大門は教王護国寺(東寺)の正門で、数ある東寺の門の中で最も大きく、幅18メートル余、高さ13メートル余の大きさで、切妻造本瓦葺、三間一戸の八脚門(やつあしもん)で、慶長6年(1601)に三十三間堂(蓮花王院)の西門として建てられたものを、明治28年(1895)に教王護国寺(東寺)の南大門として移築したものです。



羅城門址

2015/12/05 10:08:59

羅城門址

関連リンク

平安京の時代、都の中央を貫通する朱雀大路(今の千本通)と九条通との交差点にあたり、平安京の正面として羅城門が建てられていた。



洛西の竹林を往く

2015/12/05 10:43:45

洛西の竹林を往く

洛西は竹林が多い。
竹の子を栽培する為の竹林くを抜けていく。



十輪寺の紅葉

2015/12/05 10:55:05

十輪寺の紅葉

十輪寺(じゅうりんじ)は、三十六歌仙の一人在原業平(ありわらのなりひら)ゆかりのお寺で、通称「なりひら寺」とも呼ばれています。樹齢800年の大樟樹(おおくすのき)と「なりひらもみじ」が素晴らしい。

道はここ十輪寺辺りから劇坂となり、善峰寺バス停前からは10パーセント越えの超劇坂となる。



西国第二十番 善峰寺山門

2015/12/05 11:33:31

西国第二十番 善峰寺山門

山門(江戸時代初期 元禄5年 1692年桂昌院により再建された)



西山 善峯寺 観音堂

2015/12/05 11:33:31

西山 善峯寺 観音堂

元禄5年(1692)建立、桂昌院の寄進により再建された入母屋造のお堂です。本尊千手観音は仁弘法師御作で、西国三十三所観音霊場の第20番札所の本尊です



善峯寺の紅葉

2015/12/05 11:44:26

善峯寺の紅葉



善峯寺の多宝塔

2015/12/05 11:44:26

善峯寺の多宝塔

善峯寺多宝塔(重要文化財、江戸時代初期 元和7年 1621年再建、桧皮葺、高さ 約12m)



遊龍の松

2015/12/05 11:44:26

遊龍の松

樹齢600年以上、安政4年(1857)、花山前右大臣家厚公により「遊龍」と命名されました。



吉峰寺から都を望む

2015/12/05 11:44:26

吉峰寺から都を望む

はるか彼方の比叡山から京都市街を眼下にできる天空の寺 善峯寺。



吉峰寺

2015/12/05 11:45:14

吉峰寺



善峰寺紅葉

2015/12/05 11:46:36

善峰寺紅葉

善峰寺はまだまだ紅葉が美しく青い空に赤い楓が美しい。



路傍の紅葉

2015/12/05 12:09:13

路傍の紅葉

善峰寺から少し下ったところにある竹の子料理の店先の紅葉が最盛期でした。



芥川の一里塚跡

2015/12/05 13:36:10

芥川の一里塚跡

西国街道は、8世紀の山陽道の後身にあたり、京から大宰府に通じ、戦国時代には三好長慶や高山右近、さらには織田信長、豊臣秀吉らが駆け抜けた道です。
江戸時代に西国大名の参勤などに利用され、同時に京坂間の交通路として重要な役割を果たしました。
街道沿いには、一里塚が設けられ宿場が整えられていました。一里塚とは、1里(約4km)ごとに街道の両脇に塚を築き、エノキを植えて、街道の路程の目印としたものです。



中河原の道標

2015/12/05 14:00:12

中河原の道標

この道標のある中河原は、西国街道と亀岡街道の交差点になります。古くは長柄や吹田を経て山陽道に通じる三島路と、丹波亀山(現亀岡市)から南進する路との南北の結節点でもありました。一方、西国街道は、山陽道、山崎道ともよばれていました。また、この辺りは白井河原の戦いで活躍し後に茨木城主になり、賤ケ岳の戦いで戦死した中川清秀の生誕地とも言われています。



一柳家の土塀と道標

2015/12/05 14:56:30

一柳家の土塀と道標

「(指差し右)厄除安産正観世音 瑞光寺道 同江口道」「(指差し左)吹田富田茨木道」「すぐ大坂道」
一柳家の土塀と道標(天保七(1836)年)



淀川を渡り天満三郷(天満組)へといたる。

2015/12/05 15:11:52

淀川を渡り天満三郷(天満組)へといたる。

関連リンク

天満橋北詰から天神橋北詰までの間に、かつて天満青物市場がありました。当初は大坂本願寺(石山本願寺)を対
象に自然発生し、その後、何度か場所を移転。京橋北詰付近にありましたが、承応2年(1653)に当地に移り、野菜
や果物の供給市場として大いに発展しました。堂島米市場、雑喉場魚市場と並んで、浪華の三大市場と呼ばれ、数
多くの名所図会にも描かれています。明治・大正になっても大阪一の青物市場として栄えていましたが、昭和6年
(1931)、大阪中央卸売市場に吸収され、廃止されました。