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開始日時 | 2013/08/23 15:52:36 | 終了日時 | 2013/08/23 19:20:15 |
水平距離 | 33.02km | 沿面距離 | 33.04km |
経過時間 | 3時間27分39秒 | 移動時間 | 2時間28分59秒 |
全体平均速度 | 9.55km/h | 移動平均速度 | 13.30km/h |
最高速度 | 29.09km/h | 昇降量合計 | 189m |
総上昇量 | 101m | 総下降量 | 88m |
最高高度 | 50m | 最低高度 | 7m |
2013/08/23 16:18:31
『松前界隈はええとこぞなもし』を執筆している山野芳幸氏から、「塩屋海岸近くの四国ガス敷地に設置されている球形タンク付近で塩を焼いていた」という古老談を紹介していただいた。
2013/08/23 16:34:11
昔、松山と南予を結ぶ道路は、重信川にさしかかると渡し船を利用しなければならなかった。数名の人が権利株を持ち、3人ほどの船頭を雇い運営していた。重信川渡しは、塩屋渡し・北川原渡し・出合渡し・大間渡し・中川原渡しの5ヶ所にあった。
2013/08/23 16:47:16
当山の縁起について詳しく書かれた書跡や古記録はないが、ただ伊予旧記によると、遠く歴史を遡ること1300有余年の昔、人皇第36代孝徳天皇の大化2年(646)、名聖道慈律師が伊予の国に来られて余戸の郷に一寺を建立し、月光山法憧院善喜寺とし、自ら開基となって世道、人心の浄化につとめ、或は天下泰平、五穀豊穣、諸人快楽の祈請をなされ、広く人法の為御尽粋されたと伝えられている。
2013/08/23 16:51:56
洗地川に掛けられている。好天の日には東に石鎚山を望むことができる。おそらく、おたたさんはこの風景を眺め、しばしの休息を得たのだろう。
2013/08/23 17:01:01
四叉路の南西隅に地蔵がある。ここには目通り幹回り180cmのセンダンの木があり、ここでおたたさんが一休みした所だと言われる。今なお残る二つの切り株が当時を偲ばせる。
2013/08/23 17:06:41
「金」は金比羅さん、「三」は三島神社、 「石」は石鎚さんを意味する。 これ以外に、「氏」があるがこれは氏神 さんのこと。 そういったものを大切にして家内安全や 組内の安全を願った。金比羅参り、伊勢参りなど、多くの人が利用した道であろう。
2013/08/23 17:09:56
金比羅参りにでる人びとが利用した橋であろう。
2013/08/23 17:24:21
柳の影が川面(宮前川)に写る。昔は三本あったのだろうか。二本の柳が、当時の様子を今なお伝えている。
2013/08/23 17:31:11
おたたさんが目指した神社である。昔、ここで市が開かれていた。
2013/08/23 17:44:56
三津浜の人びとはこの渡しを「洲崎の渡し」あるいは「三津の渡し」と言った。また、港山の人びとは「小深里の渡し」あるいは「港山の渡し」と言った。左の山は港山城の古跡である。山麓には熱田津の所在地を示す立札がある。また右の山の麓には観月庵があり、小林一茶等が句会をした場所として知られる。
2013/08/23 18:06:26
正岡子規と野村朱燐洞の句の説明板。
背景にターナー島(四十島)が見える(夏目漱石『坊っちゃん』)。
2013/08/23 18:14:01
高浜トンネルで折り返す。雨天のため、今日の自転車散歩はここまで。