横大路を歩く

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プロフィールマップ

GPSログ解析

開始日時2019/03/08 09:04:20終了日時2019/03/08 13:07:27
水平距離15.36km沿面距離15.37km
経過時間4時間03分07秒移動時間3時間39分12秒
全体平均速度3.79km/h移動平均速度4.15km/h
最高速度12.83km/h昇降量合計71m
総上昇量37m総下降量34m
最高高度80m最低高度55m

レポート概要

横大路は「難波(大阪)より京(あすか)に至る大道を置く」(日本書紀)とあるように、古代から開かれた大和4、河内を東西に結ぶ大道である。大和朝廷-飛鳥時代には、外国使臣がさかんに往来し、異国文化を伝えた国際路線であった。中世からは長谷寺、當麻寺参詣や大神宮信仰が一般に流行し、長谷街道、伊勢街道と呼ばれるようになった。-[街道筋の長谷本寺説明板より]-

※上記、GPSログ解析は近鉄磐城駅からJR桜井駅のデータ

写真レポート

長尾神社

2019/03/08 09:13:16

長尾神社

竹ノ内街道(上ノ太子から)を歩いた時、最終地点にこの長尾神社に参拝したことを思い出した。あれから8年にもなる。あの時は若かったのだろう、二上山にも登って、當麻寺までも足を延ばした。



明治天皇遥拝所

2019/03/08 09:34:28

明治天皇遥拝所

神社の遥拝所は幾度か見たことはあるが、天皇の遥拝所は初めてだ。さて、どちらを向いて遥拝するのだろう?



大中公園の能舞台

2019/03/08 09:50:10

大中公園の能舞台

立派な能舞台が水上に造られている。散歩中の人に『この辺は能が盛んなのですか?』と聞くと、『年に一回、桜の時期だけ』という。



「静御前記念碑」

2019/03/08 09:51:34

「静御前記念碑」

能舞台から東の方へ廻って行くと「静御前記念碑」がある。
静御前は大和高田の生まれで、義経と離れ離れになった後、母の故郷とされる磯野で亡くなったと記されている。磯野町はこの南で横大路の南になる。



太神宮灯篭

2019/03/08 09:56:22

太神宮灯篭

「大中橋」交差点を渡ると街道は急に狭くなり、街道歩きには雰囲気のある家並が現れてくる。連子格子の家に挟まれて「太神宮灯篭」も屋根付きで格子の中に納められている。



長谷本寺前の道標と説明板

2019/03/08 09:58:46

長谷本寺前の道標と説明板

道標には”すぐ大坂さかい道”などが刻まれている。また、冒頭の「説明」に記したことが説明板に記されている。




北片塩町交差点の太神宮灯篭

2019/03/08 10:00:22

北片塩町交差点の太神宮灯篭

交差点の角に「天明元年」(1781)の太神宮灯篭がある。こちらは南本町側で、交差点の向こうにも永和町の太神宮灯篭がある。



曲川町の延命地蔵と庚申塔

2019/03/08 10:34:46

曲川町の延命地蔵と庚申塔

街道はJR桜井線をくぐり、葛城橋を渡って曲川町に入ると左側に延命地蔵尊がある。その横・S+p=ホ@参uヘ@れた自然石があるが、いつの時代か?



曽我町に入る

2019/03/08 10:50:16

曽我町に入る

橿原バイパスを地下道でくぐると曽我氏の本拠地だった曽我町に入る。蘇我氏といえば、中大兄皇子、中臣鎌足らによって、曽我入鹿が暗殺された事は有名。この先に「入鹿神社」がある。



曽我町の太神宮灯篭

2019/03/08 10:57:40

曽我町の太神宮灯篭

寛政十年の建立らしく、玉垣の一部には「弘化四年」や「村中安全」が読み取れる。



入鹿神社

2019/03/08 11:07:34

入鹿神社

素戔嗚尊と曽我入鹿の両柱を合祀している。境内には重要文化財で”大日さん”で親しまれている大日堂もある。



今井町へ

2019/03/08 11:17:10

今井町へ

街道から外れて、過っての環濠集落だった今井町に寄り道する。JR桜井線をくぐると今井町の北環濠跡?から入って行く。本来はもっと広い「濠」だったのだろう。



今井町の町並み

2019/03/08 11:24:16

今井町の町並み

上田家、音村家、米谷家を順に見て歩くが○○家・・・切りがなく旧家が続いている。



「横大路側溝跡」碑

2019/03/08 11:42:05

「横大路側溝跡」碑

今井町から「蘇武橋のエノキ」前を通り、法務局前にでる。法務局フエンンスの中に「横大路側溝跡」碑がある。この場所に横大路の南面側溝が深さ2.5mのところで発掘されたという。1.3km東では北面側溝が発掘調査が行われており、藤原京の横大路は30~40mの幅だったという。



接待場の灯篭

2019/03/08 11:47:23

接待場の灯篭

伊勢神宮への旅人に接待をしていた「接待場」跡で無料で食べ物やお茶で接待していたという。



札の辻

2019/03/08 11:50:05

札の辻

横大路と下ノ道との交差点で交通の要所だったという。説明板の絵図では交差点の中央には石垣で高所に高札場らしいものも描かれている。



耳成山

2019/03/08 12:05:11

耳成山

元火山(死火山)で大和三山の中でも いちばん北にあり、いちばん低いが、いちばん美しい形をしていると云われる。



中ツ道との交差

2019/03/08 12:22:48

中ツ道との交差

三輪神社の南西の角に地蔵堂がある。ここは中ツ道との交点になる。この地蔵堂の裏の用水路に大きな丸い石が有り、説明板に『ここは中ツ道と横大路の交差した場所に当たる。現在の定説では、藤原京域の北東角に位置する。この礎石は、直径一四〇cm、円座直径一一〇cm、厚み四十cmの花崗岩製で、藤原京うちの寺院のものを持ち出したか、あるいは「大和旧跡幽考」のいう、面堂の遺構か詳らかにしない』とある。面堂とは地域の呼び名らしい?・・・次写真



地蔵堂裏の礎石?

2019/03/08 12:23:12

地蔵堂裏の礎石?



三輪神社の老欅

2019/03/08 12:25:30

三輪神社の老欅

もちろん”おかげ参り”時代から有り、当時の旅人らもこの巨木が目印だったとともにびっくり仰天したことだろう。




道がうねる

2019/03/08 12:08:59

道がうねる

ここまでほぼ直線的な道だったが、ここから約1kmで3回ほど蛇行している。



三輪山が

2019/03/08 12:47:42

三輪山が

遥かに三輪山が見え、今日の「横大路ウォーキング」も終焉に近い。



小西橋

2019/03/08 12:58:42

小西橋

13時目的地の「小西橋」に着く。
大中公園を過ぎてからは近世に伊勢参宮道へと変身していったように、常夜灯、庚申塔や地蔵堂の多いことが印象的だった。また、幅の狭い道だったが車の通行が多く、意外にスペードもだしていたので注意を要した。