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開始日時 | 2023/02/08 09:30:51 | 終了日時 | 2023/03/08 11:38:12 |
水平距離 | 47.40km | 沿面距離 | 47.73km |
経過時間 | 674時間07分21秒 | 移動時間 | 11時間49分00秒 |
全体平均速度 | 0.07km/h | 移動平均速度 | 3.99km/h |
最高速度 | 24.68km/h | 昇降量合計 | 496m |
総上昇量 | 244m | 総下降量 | 252m |
最高高度 | 123m | 最低高度 | 10m |
2023/02/08 09:29:11
堺筋と旧山陽道の交点(写真の車が並んでいる方が高麗橋になり、左右が堺筋)で今日はここから出発することにする。因みに高麗橋はここから300m弱で山陽道を神崎橋から高麗橋まで歩いた時にここを通った。
2023/02/08 09:34:46
木工用ボンドで有名な「コニシ」の発祥の地。
2023/02/08 09:53:57
この下に下水道が敷かれ、下水道の両側は家屋の背中合わせになるように施工されたため「背割下水」また秀吉にちなんで「太閤下水」と呼ばれ、今も一部は現役という。
2023/02/08 10:13:15
豊臣時代から徳川時代のかけて運河として施工された堀川。その安井道頓の功績をたたえ「道頓堀
」と名付けられた。この部分は30mだがもう少し下流側は50mあるらしい。「日本橋北詰」交差点に運河を手掛けた「安井道頓」と完成させた道頓の従弟「安井道卜」の碑がある。
2023/02/08 10:19:19
街道は堺筋の右へ入って行くのだが、黒門市場は反対側にある。市場をグルッと歩いて見る。多くの人が歩いていたが、もっと混雑しているかと想像していたにもかかわらず意外と少なかった。
2023/02/08 11:27:46
堺筋を横切って本来の街道にもどる。JR新今宮駅の下を通り萩之茶屋を通過する。この地区は今はどうか知らないが、「あいりん地区」と呼ばれちょっと物騒な地区だったそうだ。自転車置き場として公認されているような半歩道駐車が目立った。
「天下茶屋」に入ると天神森天満宮の前に「天下茶屋跡碑」がある。豊臣秀吉が住吉大社参拝の折、ここにあった茶屋に立ち寄りお茶を立てたことから天下茶屋と呼ばれるようになったという。
2023/02/08 11:38:58
南海高野線の岸里玉手駅の下をくぐると道は広くなり、阪堺電車が左から合流してくる。
2023/02/08 12:11:25
電車と合流して約1.5kmほど行くと「住吉大社」がある。全国の住吉神社の総本社で摂津国の一宮で本殿は国宝になっている。神功皇后の他4柱を祀る4棟の本宮がある。正面入口に「遣唐使進発の地」という碑がある。遣唐使が出発の前にこの大社で航海安全の儀式をおこなったという。
2023/02/08 12:22:41
『現在の石造橋脚は慶長年間に淀君(太閤秀吉の妻)が豊臣秀頼公の成長祈願のために奉納したと伝えられております』-住吉大社HP-
2023/02/08 12:43:21
安立中央と看板が上がっているアーケードに入って行く。手前には旧家らしい趣のある町屋がある。
2023/02/08 12:47:45
アーケードを出た交差点に「紀州街道」と彫られた道標がある。側面に「高麗橋から十.五キロメートル」と彫られている。
2023/02/08 12:59:41
淀川に合流していたが18世紀初期、ここに変えられた大和川。流れ込む土砂で堺港もだんだん衰退していったという。
2023/02/08 13:23:11
ようやく堺の中心街へ続く大道筋へ入ってきた。片側3車線の文字通り大道だ。しかし、沿道にちらほら旧家らしい佇まいも見かけられる。
2023/02/08 13:33:01
左 大坂 右 そてつ と彫られている。右 「妙国寺」ではなく「そてつ」 寺よりそてつの方が有名だったのだろう。
2023/02/08 13:52:55
国指定天然記念物のソテツがあるというので行ってみる。廊下からガラス越しにしか見られず、撮影禁止。入場料400円也。不慣れなボランティアに説明を聞くがいまいち。
過って堺が繁栄していたころ国内外の要人の宿泊ちとされていた。本能寺の変の時、徳川家康がここに宿泊していたが、信長暗殺を知り伊賀越えで脱出していったという。
2023/02/08 14:06:50
ここは竹内街道とも交差していて、ここも2度目の来訪になる。今日はここまでとし南海堺駅に向かう。
2023/02/12 08:36:27
「大小路」交差点で西側へ渡っておく。200mほど行くと「与謝野晶子生家の跡」碑が家屋側でなく道路側にある。
2023/02/12 08:40:56
千利休の屋敷跡が街道から外れるが一つ西の筋にあるというので行ってみる。千利休は表千家、裏千家の創始者であるが、秀吉の保護をうけていたが政治にも関与し、自刃に至った。
2023/02/12 08:47:46
住吉大社のお旅所で毎年8月1日に神輿を住吉大社からこの宿院頓宮まで担いで巡行し、祭事が行われるらしい。
2023/02/12 09:07:50
環濠集落はあちこちで見たことはあり、その場に立ってもだいたい想像できるが、環濠都市は想像できない。
2023/02/12 09:16:08
濠を出て西湊町で「紀州街道」の石標に出合う。実はここから諏訪森町で204号線にでるまでに10個所くらい出合うことになる。
2023/02/12 10:26:23
諏訪森町で204号線にでると何か雰囲気が違う。聞けば今日は「泉州国際マラソン」があるという。角々には警官やボランティアが交通整理をしてる。これが後でアクシデントに見舞われることになる。
2023/02/12 11:13:44
「高石神社前」信号で左へ入り、再度204号線に出るてまえにりっぱな長屋門がある。
204号線に出て、そのまま道路向こうの細い道へ行くのが街道なのだがランナーが途切れないので渡れない。まだ1時間位かかるらしいがよく見ると合間をぬって渡っている人がいるので、整理員にお願いして渡らせてもらった。結局ここで20分ほどロスすることになった。
2023/02/12 11:43:21
やっと街道に戻って助松町に入ると田中家住宅に出合う。紀州徳川家の小休本陣として利用されていたらしい。門構えもさることながら、広大な敷き地のように見える。
2023/02/12 12:10:31
だんじり祭りには、濱八町の中心地になるそうだ。
2023/02/12 12:31:05
大津川を渡って忠岡町に入るが、欄干に大名行列があしらわれている。
2023/03/08 08:18:48
忠岡町は街道筋の距離では800mほどで、東西に長い町である。岸和田市に入り、春木町の街道風景
2023/03/08 08:51:33
水のない枯れた川に架かっている。岸和田の道路元標はすこし先にあるのだが、実際はこの「らんかん橋」が元標的な役割になっていたという。街道はここから城下に入って行く。
2023/03/08 08:53:10
堺町の「だんじり小屋」 組み立てになっているのか?もう少し背が高く大きいものをイメージしていたが、意外だった。
2023/03/08 08:57:05
岸和田城への道標で「こなから坂」とある。「こなから」とは半分の半分で四分の一(22度)ということらしい。それほど急な勾配に見えたということだろう。
2023/03/08 09:02:03
「こなから坂」を上ってお城に向かう。確かに勾配はきつく、だんじり祭りではこの坂を一気に駆け上がるとのことらしい。
2023/03/08 09:09:50
岸和田 本町の街道風景。この通りには旧家が多く並んでいて、街道歩きの醍醐味を味わせてくれる。
2023/03/08 09:12:45
だんじり小屋の横に「本町一里塚」跡がある。大阪を立ってからはじめての気がする。
2023/03/08 09:18:19
「たこ地蔵」の別称をもつ天性寺。寺前の説明碑には 『岸和田城が根来・雑賀衆に攻められ落城の危機となった時、数千のタコと一人の法師が現れ、城を救った』 とある。 地蔵堂としては日本最大級の建物だそうだ。
2023/03/08 09:27:45
たこ地蔵の参道入口から約200mで左折、すぐ右折すると「貝塚市」に入る。
2023/03/08 09:32:15
貝塚市は過って「東洋の魔女」で知られたニチボウ貝塚もある
2023/03/08 10:29:59
見出川を渡ると泉佐野市に入る。すぐに先のY字三叉路に道標がある。『右 大川あわしま 左 紀州わか山』 右へは「孝子越え」道 左へは「雄ノ山越え」道 の分岐点である。今回は左の「雄ノ山越え」道へと進む。
2023/03/08 10:07:55
久し振りの田園風景が広がる。大阪を出てからはじめてでは?
2023/03/08 10:48:52
ここから紀の川まで熊野街道と合流し、「王子」跡を辿ることにもなるのだろう。
2023/03/08 11:13:15
まず「佐野王子跡」だが街道と50mほど離れたところにあるため見逃すところだった。たまたま前が造成地
で更地になっていたため目に付いた。