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開始日時 | 2014/07/08 14:20:36 | 終了日時 | 2014/07/08 17:14:56 |
水平距離 | 25.98km | 沿面距離 | 25.99km |
経過時間 | 2時間54分20秒 | 移動時間 | 2時間03分56秒 |
全体平均速度 | 8.94km/h | 移動平均速度 | 12.58km/h |
最高速度 | 30.85km/h | 昇降量合計 | 115m |
総上昇量 | 58m | 総下降量 | 57m |
最高高度 | 66m | 最低高度 | 46m |
2014/07/08 14:20:36
2014/07/08 14:41:40
塩屋海岸(松前)から厳島神社(三津)まで、塩売街道がつづく。塩売橋は、おたたさんが休憩した所だと言われ、。好天のときは東に石鎚の山並みが展望できる。
2014/07/08 14:46:55
2014/07/08 14:53:35
2014/07/08 15:09:45
2014/07/08 15:13:00
明和8年(1771)伊予国和気郡塩屋町(現在の松山市三津二丁目)灘屋喜太八の八男として生まれた。松山藩のお抱え力士で、現役時代の体格は身長189㎝、体重146kgであった。
2014/07/08 15:18:45
松前から来たおたたさんが、ここで市を開いたと言われる。
2014/07/08 15:21:55
『ぶうと云って汽船がとまると、艀が岸を離れて、漕ぎ寄せて来た。船頭は真っ裸に赤ふんどしをしめている。野蛮な所だ。もっともこの熱さでは着物はきられまい。日が強いので水がやに光る。見つめていても眼がくらむ。事務員に聞いてみるとおれはここへ降りるのだそうだ。見るところでは大森ぐらいな漁村だ。人を馬鹿にしていらあ、こんな所に我慢が出来るものかと思ったが仕方がない。威勢よく一番に飛び込んだ。』※
2014/07/08 15:26:45
三津駅は1895(明治21)年の開業時には三津浜駅といい、松山の海の玄関であった三津浜港の連絡駅の役割を果たしていた。夏目漱石も1895(明治28)年に、この港に降り立ち、三津浜駅から「マッチ箱のような列車」に乗り松山市街に向ったという。
2014/07/08 15:38:35
道春公は室町時代後期に河野予州家の武将として大活躍した英傑である。要害地湊山城主として伊予水軍を統帥し、応仁の乱など多くの戦いに出陣して四海に勇名を轟かせた。公は常に天長地久、国土太平と家門繁栄、子孫相続を祈願し、文明14年(1482)旧7月14日当湊山で逝去する。
2014/07/08 16:01:00
新しい天地へ――山頭火は、昭和14年10月1日、広島県宇品から船に乗った。
ひよいと四国へ晴れきつてゐる
山頭火は最晩年の一年余を過ごす松山の高浜港へ降り立ったのであった。
2014/07/08 16:04:05
2014/07/08 16:07:55
2014/07/08 16:11:20
2014/07/08 16:53:05
2014/07/08 16:53:30
塩売街道をゆくおたたさんが、ここで一休みしたと言われる。
2014/07/08 17:14:56