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開始日時 | 2015/01/16 11:31:11 | 終了日時 | 2015/01/16 15:53:52 |
水平距離 | 37.02km | 沿面距離 | 37.04km |
経過時間 | 4時間22分41秒 | 移動時間 | 3時間04分16秒 |
全体平均速度 | 8.46km/h | 移動平均速度 | 12.06km/h |
最高速度 | 31.38km/h | 昇降量合計 | 173m |
総上昇量 | 103m | 総下降量 | 70m |
最高高度 | 80m | 最低高度 | 35m |
2015/01/16 11:31:11
2015/01/16 12:24:12
2015/01/16 12:30:47
2015/01/16 13:37:12
三津浜港の掲示板に張られている。
2015/01/16 13:45:17
往古より住民並びに航海を業とする者など、伊予の熟田津、成田津、秋田津の総守護神、三津大明神として尊崇し、湊大明神とも称え、後に湊三嶋大明神とされた。
南北朝時代には伊予の豪族・河野氏の守護神としてもあがめられ、また近隣の人々も海の安全と繁栄を願ってきた。
2015/01/16 13:53:27
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2015/01/16 13:57:47
2015/01/16 13:57:47
2015/01/16 14:00:32
河野通之の孫。伊予河野分家(予州家)をつぎ、宗家の教通と伊予の主導権や守護職をめぐり対立する。応仁の乱では京都にでて各地での戦闘にくわわる。帰郷後も教通との紛争がつづき、文明14年閏7月14日湊山城で討ち死にした。
2015/01/16 14:08:42
秋晴れひよいと四国へ渡つて来た 山頭火
句碑は平成21(2009)年10月、山頭火の来松70年を記念して、ターナー島を守る会、松山山頭火の会、松山山頭火倶楽部、十六夜柿の会の手により、上陸地である旧高浜港にほど近い場所に建立された。句碑の左にある半球状の2個の石は、山頭火愛用の笠と盃をイメージしてある。
2015/01/16 14:13:02
2015/01/16 14:18:37
2015/01/16 14:21:07
雪の間に小富士の風の薫りけり 子規
明治25(1892)年7月15日、高浜虚子、河東碧梧桐と3人で、高浜の延齢館に行った際に詠んだ句。延齢館は、海水浴客などが休憩・食事に利用できる海の家のような施設で、高浜港の南の興居島を望む地にあった。子規は、明治28年にも夏目漱石を連れて延齢館を訪れている。
2015/01/16 14:21:27
2015/01/16 15:53:52