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開始日時 | 2014/11/04 13:21:16 | 終了日時 | 2014/11/04 17:48:46 |
水平距離 | 36.19km | 沿面距離 | 36.21km |
経過時間 | 4時間27分30秒 | 移動時間 | 3時間08分05秒 |
全体平均速度 | 8.12km/h | 移動平均速度 | 11.55km/h |
最高速度 | 24.57km/h | 昇降量合計 | 158m |
総上昇量 | 79m | 総下降量 | 79m |
最高高度 | 16m | 最低高度 | -2m |
2014/11/04 13:21:16
2014/11/04 13:40:21
2014/11/04 13:42:51
『松前界隈はええとこぞなもし』の著者・山野芳幸氏から、「塩屋海岸近くの四国ガス敷地に設置されている球形タンク付近(突き当りを右折)で塩を焼いていた」という古老談を紹介していただいた。
塩屋は「塩田の所在地であった」と、そして塩小屋もあったことから塩屋となったといわれる。
古の写真に、このような松並木の風景が見られる。
2014/11/04 13:48:26
2014/11/04 13:52:01
2014/11/04 14:08:31
背景にみえるのは出会橋。
2014/11/04 14:17:16
塩売街道には、「塩」の看板が相応しい。
2014/11/04 14:17:31
2014/11/04 14:26:26
2014/11/04 14:26:26
2014/11/04 14:34:31
2014/11/04 14:34:56
下を流れるのは洗地川。好天の日には東に石鎚山を望むことができる。おそらく、おたたさんはこの風景を眺め、しばしの休憩を得たのだろう。
2014/11/04 14:40:41
昔はこの地に立派な「加多寺」がありました。この時代は崇光天皇将軍足利尊氏の世でもあって今から660年前すでに当地に創建されていた由緒あるお寺でありました。御本尊は石鉄蔵王大権現と称し祭祀せられ現在に至っています。延宝4年(1676)320年前石鎚山を管理していた。
別当前神寺より先達寺としての指定を受けることになり加多寺の住職は近在の信者講参りの人々を集め石鎚山夏山祭りのお先達としてその任を務めていました。
2014/11/04 14:51:06
「金」は金毘羅さん、「三」は三島神社、「石」は石鎚山を意味する。これ以外に、「氏」があるが、これは氏神さんのこと。そういったものを大切にして家内安全や組内の安全を願った。金比羅参り、伊勢参りなどの人が利用した道であろう。
2014/11/04 15:09:11
岸に伸びる柳が往時を偲ばせる。
2014/11/04 15:53:16
2014/11/04 15:53:16
2014/11/04 15:56:21
秋晴れひよいと四国へ渡つて来た
昭和14(1939)年10月1日11時50分、山頭火は広島・宇品港から「女王丸」で旧高浜港に到着した。当日の日記に記されているのが、この句である。日記には、ほかに
秋晴れの島をばれまいておだやかな
ひよいと四国へ晴れきつてゐる
の句が詠まれていた。
2014/11/04 16:00:36
2014/11/04 16:00:36
2014/11/04 16:00:36
映画「真夏の方程式」(2013年)で、物語の舞台となる「玻璃ケ浦」の駅として登場しました。
駅では、主人公が物語の軸となる少年と出会う場面などが撮影されました。
2014/11/04 16:08:06
2014/11/04 16:14:06
2014/11/04 16:14:36
この句は、明治25年7月15日、子規は高浜虚子宅を訪問、河東碧梧桐も加わり三人で高浜の延齢館に行き、雪の間に入り詠んだもの。
2014/11/04 16:17:51
2014/11/04 16:30:26
トンネル内から松山側出口を撮影。
2014/11/04 16:55:51
伊予鉄高浜線跨線橋から撮影。遠い昔のことである。この跨線橋の角に茶店があったが、今はもうない。自転車で梅津寺に向っているとき雨に降られたことがある。茶店の「おばさん」が、寒さを防げるように服の下に新聞紙を挿しいれてくれた……。
2014/11/04 17:48:46