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開始日時 | 2014/09/09 14:09:35 | 終了日時 | 2014/09/09 18:36:36 |
水平距離 | 46.72km | 沿面距離 | 46.74km |
経過時間 | 4時間27分01秒 | 移動時間 | 3時間33分00秒 |
全体平均速度 | 10.50km/h | 移動平均速度 | 13.17km/h |
最高速度 | 28.76km/h | 昇降量合計 | 195m |
総上昇量 | 96m | 総下降量 | 99m |
最高高度 | 27m | 最低高度 | 1m |
2014/09/09 14:09:35
2014/09/09 14:48:05
城山公園から松山城の眺望。
2014/09/09 14:50:10
松山城お堀の白鳥の雛は、順調に成長している。
2014/09/09 14:51:30
松山札の辻の奥の一角。
2014/09/09 14:55:15
松山札の辻は、松山城と大林寺(城主代々の墓所)を結ぶ紙屋町の通りと、江戸時代松山隨一の繁華街であった本町通りとの交差点にあたり、当時松山藩の制札所(高札場とも言う)のあった所で、伊予国の交通の起点となっていた。「松山叢談」によれば、ここから五大街道の里程が始まる。
・五大街道
金毘羅街道、土佐街道、大洲街道、今治街道、高浜街道
2014/09/09 15:35:05
かつての堀江港の面影が消えた。
2014/09/09 15:39:40
1630年(江戸時代前期)、和気郡の堀江地方では、作物がじゅうぶん実らず、農民は、大変苦しい生活をしていた。心配した西山五右衛門通周は、農民にかわって、何度も年貢米の免除を役所に願い出たが許されなかった。
そこで、通周は、農民の命を守るために、もみ米をこぎ取らせ、藁を田に集めて焼き、「不作で米が取れないから、稲を焼いてしまいました。」と言って、裁きを待った。役人は、通周を堀江東海岸の波打ち際で磔の刑にした。村人は、お堂を建てて通周をとむらった。このお堂を「五右衛門堂」と呼んでいる。
2014/09/09 15:46:20
突堤、波返工、堤体の天板被覆工で構築。
2014/09/09 15:50:05
ここから風光明媚な海岸がつづく。
2014/09/09 15:56:25
2014/09/09 15:56:30
小川大師堂内にある。
2014/09/09 15:56:30
小川大師堂内にある。
・しほひがた隣の国へつゝきけり 正岡子規
・釣鐘のうなる許りに野分哉 夏目漱石
・淋しさを鴫さへ逃げてうらの秋 大森泰怒
・涼しさや馬も海向く淡井阪 正岡子規
・涼しさや馬も海向く粟井坂 正岡子規
2014/09/09 16:09:50
2014/09/09 16:09:50
小川大師堂内にある。
2014/09/09 16:09:50
小川大師堂の脇道にある。
2014/09/09 16:34:10
2014/09/09 16:40:25
徒歩10分の所に、鹿島行き船乗り場がある。鹿島には、島の名前の由来でもある鹿が多数飼われている。
2014/09/09 16:53:35
西ノ下大師堂内にある。
・ここにまた住まばやと思ふ春の暮れ 高浜虚子
2014/09/09 16:57:20
2014/09/09 17:12:20
2014/09/09 18:36:36