20140503  平家神社

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ASG-15-20140503-10:55

プロフィールマップ

GPSログ解析

開始日時2014/05/03 10:55:34終了日時2014/05/03 17:46:03
水平距離118.57km沿面距離118.71km
経過時間6時間50分29秒移動時間4時間04分15秒
全体平均速度17.35km/h移動平均速度29.16km/h
最高速度100.86km/h昇降量合計1898m
総上昇量1001m総下降量897m
最高高度432m最低高度-9m

写真レポート

平家の隠れ里

2014/05/03 14:06:59

平家の隠れ里

  その他、6人が切腹したハザマ谷には、大正10年頃まで石むろが築かれ自害の場所の印が残れていました。また、平家谷及びハザマ谷は明治の中頃まで女人は一切近づく事が出来ず、白い物は敵源氏の旗示であるので身につけず、平家の子孫は正月にも白餅をつくことも出来ませんでした。代わりに12月末には赤飯を造り正月15日まではその赤飯に毎日お茶をかけて食べていましたが、この習慣は大正10年頃にはなくなりました。

平家谷(愛媛県八幡浜市保内地区)

2014/05/03 14:07:09

平家谷(愛媛県八幡浜市保内地区)

  壇の浦の戦い後、落ち延びた残党が佐田岬半島の伊方越にたどり着き、宮内川上流の谷に隠れ住んだとの言い伝えがある。8名で畑を開き暮らしていたが、源氏の追っ手の知るところとなり、6名は自害、残った2名が両家集落の祖となったという。平家谷には平家神社がまつられている。

平家神社

2014/05/03 14:08:09

平家神社

  壇ノ浦の合戦後にこの地に落ち延びた平家落人を祀った神社。宮内川上流の平家谷に鎮座し、昔から祖霊の鎮まれる聖地「不入の山」として里人に畏れられてきた。鳥居や社殿は、平家の軍旗(赤旗)を連想させる朱色に塗られており、自然のままの緑を背景に佇む外観はひときわ優美な空間を演出している。付近には平家谷自然林もあり、平家落人を祀った祠や平家とともに都落ちをした伝説を持つ悲運の幼帝「安徳天皇」の石塔、落人が隠れ住んだと言われる洞窟も残されている。

宮内川

2014/05/03 14:35:44

宮内川

  宮内川上流の谷に辿りつく。