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開始日時 | 2014/05/08 13:03:37 | 終了日時 | 2014/05/08 16:50:37 |
水平距離 | 34.02km | 沿面距離 | 34.06km |
経過時間 | 3時間47分00秒 | 移動時間 | 2時間43分35秒 |
全体平均速度 | 9.00km/h | 移動平均速度 | 12.49km/h |
最高速度 | 27.78km/h | 昇降量合計 | 324m |
総上昇量 | 177m | 総下降量 | 147m |
最高高度 | 161m | 最低高度 | 14m |
2014/05/08 13:03:37
2014/05/08 14:22:12
2014/05/08 14:29:47
2014/05/08 14:38:12
旅人のうた登り行く若葉かな
二度目の訪問で、この正岡子規句碑に辿りつけた。
2014/05/08 14:56:42
『一遍聖絵』では「窪寺」が2回記述されており、年代は弘長8年(1271)と正応元年(1288)、場所は予州窪(寺)と特定出来る。丹波国の山内入道が窪寺住持となり、同地は今日入道に因んで丹波と呼称されている。早くから一遍、聖戒の影響で時宗(時衆)寺院化したのではないか。江戸時代には窪寺の寺格は失せ「窪の寺」なる小寺になったのではあるまいか。
2014/05/08 15:02:17
2014/05/08 15:09:27
2014/05/08 15:18:52
2014/05/08 15:18:52
山門脇に正岡子規の句碑「永き日や衛門三郎浄るり寺」がある。
県道から石段を上ると木々に覆われた境内に入り、右に鐘楼、左に仏手石、納経所がある。先に進むと左に手水場、仏足石、右にイブキビャクシンの木、籾大師、説法石があって正面に本堂が建つ。本堂左手に一願弁財天堂が、右に大師堂がある。
2014/05/08 15:24:22
寺伝によれば役行者によって開基され、大宝元年(701年)に、伊予の国司越智玉興が、文武天皇の勅願を受けて堂宇を建立したという。一時荒廃するが、弘仁6年(815年)に来錫した空海(弘法大師)が再興したとされる。
熊野権現を勧進して十二社権現とともに祀り、修験道の根本道場として栄え、12坊、84の末寺を持ち多くの僧兵を抱える大寺となった。天正年間(1573年 - 1592年)には兵火によって焼失してからは寺域も縮小し、現在の境内となっている。
2014/05/08 15:46:07
この衛門三郎の伝説が四国遍路の始まりとして広く知られている。亡き子の菩提を弔い、悪業を悔い、大師にわびるための巡礼という回向を重ねることにより、やがて大師にめぐり合えるという話から、大師が今も四国を回っておられ、一心にお四国めぐりをするうち、いずれかどこかで大師に巡りあえるという信仰や、いわゆる「逆打ち」などの言い伝えにつながっている。なお、衛門三郎の「石」は現在も石手寺(松山市)に奉られている。 松山市恵原町には、衛門三郎の八人の子を祀ったと言われる「八塚(やつづか、「八ツ塚」という表記も)」が今も点在している。
2014/05/08 15:46:07
2014/05/08 16:50:37