左上の四角をクリックすると全画面表示になります。
GPXをダウンロード (右クリックで名前を付けて保存)
開始日時 | 2014/05/11 14:55:31 | 終了日時 | 2014/05/11 19:26:38 |
水平距離 | 44.69km | 沿面距離 | 44.72km |
経過時間 | 4時間31分07秒 | 移動時間 | 3時間37分18秒 |
全体平均速度 | 9.90km/h | 移動平均速度 | 12.35km/h |
最高速度 | 29.01km/h | 昇降量合計 | 226m |
総上昇量 | 114m | 総下降量 | 112m |
最高高度 | 62m | 最低高度 | 25m |
2014/05/11 14:55:31
2014/05/11 15:22:33
ここには目通り幹回り180cmのセンダンの木があり、ここで〈おたたさん〉が一休みした所だという。今はセンダンの木はないが、この切株と思しきものが見える。
2014/05/11 15:42:49
宮前川の岸に、二本の柳の木がある。昔のように三本だともっと風情があると思う……。
2014/05/11 15:56:04
室町時代後期から戦国時代にかけての武将、守護大名。伊予守護。居城は港山城。河野氏宗家と対抗した分家の予州家当主。
2014/05/11 16:05:54
初汐は葉月潮とも言って、旧暦8月15日の大潮のこと。この句に詠まれた、姿のよい松の木は枯れてしまったが、篤志家の手で蘇りつつある。句碑の背後にある海上の岩礁が「四十島」。夏目漱石が「坊っちゃん」の中で、教頭の「赤シャツ」が「あの松を見給え、幹が真直ぐで、上が傘のように開いてターナーの画にありそうだね」と言い、それを受けた「野だいこ」が「これからあの島をターナー島と名づけようじゃありませんか」と余計な発議をしたことから、「ターナー島」の愛称で知られている。
2014/05/11 16:23:29
この句は、明治25年7月15日、子規は高浜虚子宅を訪問、河東碧梧桐も加わり三人で高浜の延齢館に行き、雪の間に入り詠んだもの。
2014/05/11 17:29:29
(観音寺方面<<)伊予西条 - 石鎚山 - 伊予氷見 - 伊予小松 - 玉之江 - 壬生川 - 伊予三芳 - 伊予桜井 - 伊予富田 - 今治 - 波止浜 - 波方 - 大西 - 伊予亀岡 - 菊間 - 浅海 - 大浦 - 伊予北条 - 柳原 - 粟井 - 光洋台 - 堀江 - 伊予和気 - 三津浜 - 松山(>>伊予大洲方面)
2014/05/11 17:35:34
粟井坂の大師堂横に「粟井坂新道記念碑」が建っている。大森盛籌(もりかず)が、北条と和気を結ぶ道路の建設に尽くしたことが記されている。道路は、明治13年に完成し、山越えの難所が解消され、車や人の通行が大変便利になったという。
2014/05/11 17:35:34
涼しさや馬も海向く淡井坂 子規
2014/05/11 17:35:34
しほひがた隣の国へつゝきけり 子規
釣鐘のうなる許りに野分哉  漱石
2014/05/11 19:26:38