改元の旅(令和元年5月4日)山口~太宰府

左上の四角をクリックすると全画面表示になります。

ブログ埋め込み用HTMLタグ

地図の高さ: px     地図の幅は自動調整されます(固定幅にするにはwidthをピクセルで指定)

タグ:

改元の旅(令和元年5月4日)山口~太宰府

プロフィールマップ

GPSログ解析

開始日時2019/05/04 07:04:30終了日時2019/05/04 17:23:34
水平距離194.87km沿面距離196.21km
経過時間10時間19分04秒移動時間9時間03分43秒
全体平均速度19.02km/h移動平均速度21.61km/h
最高速度58.48km/h昇降量合計4730m
総上昇量2359m総下降量2371m
最高高度349m最低高度0m

レポート概要

改元の旅最終日。
またまた晴れです。今日は7時スタートなので大分早起きでした。
昨日飲み過ぎたので朝起きて喉がカラカラでしたが体の方は問題無し。

本日は少し回り道になりますが秋吉台に寄り道してから最終目的地である太宰府を目指します。
秋吉台は小学生のころ修学旅行で来て以来約20年云年ぶりですが早朝に円形の展望台で見た朝焼けの
光景とひんやりした空気感は今でも鮮明に覚えています。あと当時ホテルで食べたビーフシチューの肉の
柔らかさは未だに世界イチだと思っています。
開始数キロから最初の登りが始まります。大峠という名前ですが標高差250m程度で勾配も6%程度と
そんなに厳しい峠ではないです。無理はしませんがゆっくりという訳でもない速度で淡々と登ります。
一度下り5km程度の平坦路のあと呑水峠というちょっとした峠を登った先の交差点で左折し秋吉台への
登りが開始です。秋吉台へ上る道路としてはメジャーではなさそうな道(登り切って初めて眺望が開ける)
でしたが自転車にとっては交通量が少なく走り易い道でした。
登り切った先に長者ケ峯展望台(秋吉台東展望台)という公衆トイレを兼ねた小さな展望台があります。
ここからカルストロードには車では出ることが出来ないためマイナー展望台といった雰囲気。
貸し切り状態で写真撮影を楽しみますw
ここから少し戻り未舗装の砂利道を行けば長者ヶ森駐車場に出ることが出来、カルストロードに出ることが可能です。
ここは自転車ならでは道選び。秋吉台をぐるっと一周している時間はなかった自分にとっては最高のルートでした。
秋吉台を堪能したあとはいよいよ九州を目指して関門海峡を目指します。
関門海峡を目指していると多数のウルトラランナーと遭遇。ゼッケンを見ると140kmの文字が見えます。
あとで調べてみたところ「第1回赤間関街道中道筋マラニック大会」とのこと。
今回自分の走ったコースとかなり被っていたようで2時間弱の間ちょくちょくと遭遇。
途中スタッフと間違われて?子どもの声援を受けることもw
元気を貰いガタガタの山道(美祢菊川線という県道で赤間関街道という歴史あるみちだそう)も快調に
こなします。
結構適当に引いたルートですが思いもがけない楽しいルートでした。
ただその分時間がかかってしまったので帰りの新幹線(終電)が心配になります。
この旅で避けていた国道2号線に合流。ものの数キロ程でしたが今まで走ってきた道とはケタ違いの交通量に
辟易していると関門橋が姿を現しました。
いよいよ本州の末端に到達。そして九州へ上陸するときが迫ってきました。
新幹線や自動車では何度となく越えている関門海峡ですが自転車で越える関門海峡は感慨ひとしおです。
そう関門海峡は自転車(徒歩)で越えることが出来るのです。
越えるといっても橋を渡れる訳ではなく、海底に人道と呼ばれるトンネルが掘ってありそこを徒歩で渡ります。
海中水族館のようなものを想像していましたが途中に海底を覗ける窓などはなく(水圧を考えれば当然か)
コンクリートの通路が続き海底感を感じることはないのですが、九州に歩いて渡るというなかなか出来ない体験に
大人ほど心躍るといった印象でした。
海底トンネルを渡りエレベータで地上に上がるといよいよ九州上陸です。
同時にこれまで、岐阜、滋賀、京都、大阪、兵庫、岡山、鳥取、広島、山口と旅を続けてちょうど10県目、福岡に
到達です。
人道入口前にはテイクアウト出来るおでん屋さんがあり行列が出来ていました。
ちょうど自分も空腹感があったのでおでんとソフトクリームを注文。塩分と糖分をばっちり補給。もちろん味にも満足。
こんなことをしているうちに時間は12時過ぎ、新幹線の時間を考えると17時半には博多に着きたいところですが、
残り110km弱で300m越えの登りがあと2本。太宰府での滞在時間を考えると全く余裕がないではないか。。
北九州に入って暫くは大通りを進みますが信号が多い、しかも歩車分離型が多く停止時間が長いので徐々に焦ってきます。
ようやく交通量が落ちたところで九州に入って最初の峠越えに入りました。
ここまで1000km程走ってきて疲れはあるはずですがこの数日間でヘタレない登り方を会得していた(もちろん速くはない)
のでなかなかいいペースでピークまで到達、ご褒美の下りでグロスを稼ぎます。(頂上で13:43残り約77km)
ここから20km程平坦でいよいよこの旅最後の峠となる米ノ山峠の登りに入ります。
ここでもヘタレない登り方を発動して淡々と登っていきます。(頂上で15:52残り約27km)
下ればいよいよ太宰府です。
ここを目指してはるばると走ってきました。
10km弱の下りを楽しむと太宰府天満宮へ到着。
予想はしていましたが凄い人です。
皆さん令和ゆかりの地ということで各地から来られているのですな。
この中に5日かけて"チャリで来た"というお馬鹿さんは果たして自分以外にいるのでしょうか?
人が多く時間もないので天満宮は外から見るだけに止め、坂本八幡宮を目指します。
坂本八幡宮は令和の由来となった「梅花の歌」を詠んだ大伴旅人の邸宅の所在地であったとする説のある場所です。
普段は参拝する人も殆どいない神社だったようですが令和ゆかりの地と分かるやいなや参拝客で大ブレイクしている
とのことです。
大宰府政庁跡の交差点近くから坂本八幡宮に続く道があるのですが交通規制がされていたため大回りをして八幡宮に
いかないといけませんでした。おかげで5分程余計に時間を取られました。
坂本八幡宮に到着するともの凄い行列が、、改元日より6日間限定で御朱印が発行されているそうで御朱印目当ての
人たちで溢れていました。(後日ヤフオクで御朱印が出品されていました。。)
ここでも写真のみ撮って長居はせず。
平成の最終日から始めた旅が新時代令和で終わりを迎える。
思い付きで始めた旅、何の意味があるのかと問われても意味のある答えを出すことは自分には出来ません。
ただ、こんな経験は二度と出来ないとの確信に近い思いが原動力となったことは確かでやらないで後悔をする方が
よっぽど無意味だと、そう思ったんでしょうね。

ここからは現実に戻ります。長居はしなかったとは言え5分程滞在していたので新幹線の時間が気になります。
16時45分で残り約13km
時間的にはかなり貯金が出来ましたが市街地に入るので油断は禁物です。
新幹線(18時59分発)に乗る前に銭湯に入っておきたかったので足を緩めることなく博多駅を目指します。
結果17時23分に無事到着。
銭湯に入る時間は無事確保出来ましたが、あわよくばと考えていた博多ラーメンを食している時間はなかった
ので駅弁とビールを買い込み帰路につきました。

サイコンデータは以下の通り。
走行距離:194km
走行時間:8時間27分
AVE:23.0km/h 75rpm
獲得標高:2,359m(轍での地理院データ補正済)
総所要時間:10時間19分

5日間の総計は以下の通り。
走行距離:約1060km
走行時間:約45時間40分
AVE:23.2km/h
獲得標高:約14,000m

写真レポート

2019/05/04 07:39:13

大峠

秋吉台 東展望台

2019/05/04 08:38:18

秋吉台 東展望台

秋吉台 東展望台2

2019/05/04 08:38:22

秋吉台 東展望台2

秋吉台 東展望台3

2019/05/04 08:38:26

秋吉台 東展望台3

秋吉台

2019/05/04 08:48:42

秋吉台

2019/05/04 10:00:07

峠?

2019/05/04 10:18:07

峠?

ここを超えるととうとう下関市。

関門橋が見えた!

2019/05/04 11:20:09

関門橋が見えた!

言わずと知れた本州と九州とを結ぶ吊り橋。
自動車専用道なので人や軽車両は人道と呼ばれる海底トンネルを使って渡ることが出来ます。

関門トンネル人道入口

2019/05/04 11:27:22

関門トンネル人道入口

エレベーターを使って地下のトンネルへ行きます。

 

2019/05/04 11:27:22

 

トンネル内。

関門海峡(九州側人道入口)

2019/05/04 12:06:53

関門海峡(九州側人道入口)

写真では伝わらないが関門橋を大迫力で見上げることの出来るポイントです。
近くにテイクアウトの出来るおでんやさんがあります。

2019/05/04 13:42:43

峠?

2019/05/04 15:51:36

米ノ山峠

この旅最後の峠。

太宰府駅

2019/05/04 16:21:28

太宰府駅

太宰府天満宮は人が多すぎて入らず。
代わりに太宰府駅をパチリ。

坂本八幡宮

2019/05/04 16:36:04

坂本八幡宮

令和の由来となった「梅花の歌」を詠んだ大伴旅人の邸宅の所在地であったとする説のある場所。
改元日より6日間のみ御朱印が発行された。