泉州の祭礼と巡礼の道(泉州のコンポスティーラ)

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Holux2014/10/04_11:17

プロフィールマップ

GPSログ解析

開始日時2014/10/04 11:17:39終了日時2014/10/04 16:35:21
水平距離66.70km沿面距離66.83km
経過時間5時間17分42秒移動時間4時間03分57秒
全体平均速度12.62km/h移動平均速度16.44km/h
最高速度49.97km/h昇降量合計1386m
総上昇量682m総下降量704m
最高高度327m最低高度-16m

写真レポート

大和橋

2014/10/04 11:17:44

大和橋

大和橋は江戸時代お上が架けた公儀橋でしたが、江戸時代を通じて大和川に架かる橋はこの橋だけでした。 紀州街道を歩いた旅人は必ずこの橋を渡りました。 取りあえず今回はここからスタートです。住吉大社へのコンポスティーラでもある。

石津川

2014/10/04 11:35:40

石津川

石津川あたりでは ふとん太鼓 の準備か整えられている。

だんじり

2014/10/04 11:55:00

だんじり

泉大津では だんじり の準備でした。

紀州街道 欄干橋 牛滝街道の起点

2014/10/04 12:09:45

紀州街道 欄干橋 牛滝街道の起点

江戸期には牛滝山(大威徳寺)は牛を扱う人々に大変な信仰を集めたそうだ。 本堂には大威徳明王又の名を牛滝明王を安置し祭礼は三月二十五日、八月二十五日に行われ、もとは地元はもとより大坂、河内方面より牛を引き連れて牛市、牛滝参りでにぎわい、草相撲なども行われ参道には出店が並び連なったと言われる。 牛滝街道はその大威徳寺への参詣道であった。大威徳寺コンポスティーラですか。

五軒屋町の曲がり角の道標

2014/10/04 12:13:05

五軒屋町の曲がり角の道標

右 和哥山道 左 わけ くめた道

現在の道標

2014/10/04 12:18:55

現在の道標

近年しつらえた 牛滝街道 一本松跡 の石造版

久米田寺 

2014/10/04 12:32:45

久米田寺 

道はやがて久米田寺へ出でる。 この寺は、行基が開削指導したため池である久米田池を維持管理するため天平10年(738年)行基によって創建されたと伝えられる。 牛を連れたかつての人もこのあたりで休憩したでしょう。

久米田池

2014/10/04 12:35:05

久米田池

大阪府内最大の面積をもつ久米田池は、岸和田市池尻町と岡山町にまたがり、広さ45.6ha、周囲2.6km、貯水量万トンのため池です。 久米田池の築造は奈良時代にさかのぼります。行基年譜によれば、神亀2年(西暦725年から天平10年(西暦738年)の14年の歳月をかけて完成したと言われています。

近包の道標

2014/10/04 12:46:45

近包の道標

右 さかひ  左 きしわだ

積川神社

2014/10/04 12:56:30

積川神社

積川神社の本殿。国指定重要文化財。 この本殿は1602年(慶長7年)豊臣秀頼が片桐旦元に命じ、大修理を加えたと伝わる。 祭神は坐摩5神(生井、栄井、綱長井、阿須波、波比岐)を祀る。ともに井水、土地の守護神である。 大正時代には国宝であったそうである。

内畑の道標

2014/10/04 13:22:00

内畑の道標

右ハうした 左ハまきの

大威徳寺

2014/10/04 13:52:30

大威徳寺

近畿の紅葉の名所 江戸時代の名所図会にも紅葉の名所として扱われているので、昔からの紅葉で有名だったんでしょう。

本堂裏の牛神さん

2014/10/04 14:00:51

本堂裏の牛神さん

水の少ない耕作地での生活には牛の力が必要だったんでしょう。 牛神崇拝が盛んだったんでしょうね。 僕らが子供の頃はかろうじて(牛の農業利用の最終期)畑で牛が畝を作る道具を引くところを見ることができました。 牛神崇拝はオリエント・エジプト・インドの古代文明の時代から世界中にある様子です。

大威徳寺多宝塔

2014/10/04 14:01:56

大威徳寺多宝塔

「重要文化財 大威徳寺多宝塔 この多宝塔は内部の壁板に永正十年(千五一三)の墨書があtって昭和五十年より四百六十余年前に建立されたものと認められた 三間二層の塔婆で形式手法は良く時代の象徴を現している 相輪の覆鉢には天文廿年辛亥卯月吉日(一五五一)の刻銘がある 昭和四六年六月二十二日重要文化財に指定され昭和四十九年一月より修理に着手し昭和五十年十二月完成した なをこのように本堂の背面に塔婆の配置された例は非常に少ない  大威徳寺」 掲示板

大威徳寺 緑の紅葉

2014/10/04 13:57:45

大威徳寺 緑の紅葉

大威徳寺 緑の紅葉

2014/10/04 14:03:41

大威徳寺 緑の紅葉

まだ紅葉には早いので土曜の午後にはひとっこ一人いない。静寂と風の音に包まれた境内。

父鬼街道 国分峠の道標

2014/10/04 14:57:36

父鬼街道 国分峠の道標

右ま紀のを 左大三ね山

西国巡礼四番施福寺 (槙尾山)への巡礼道でもあった。

納花町あたりの風情

2014/10/04 15:05:46

納花町あたりの風情

古い家並みがかろうじて残る。

和田町あたりの街道風景

2014/10/04 15:09:36

和田町あたりの街道風景

いい感じの街道風情が残っていました。

あぜ道を走る。

2014/10/04 15:13:56

あぜ道を走る。

父鬼街道は新しいアスファルト道にとって変わられて、かつての道は田んぼのあぜ道になりそうでした。

信太山境内

2014/10/04 15:22:21

信太山境内

江戸時代、信太山丘陵一帯は、聖神社境内地として管理されていた。(天保3年(1832 年)泉州泉郡信太郷立会絵図から松林があったと推測される。) 明治になって政府に上知され、明治3年に堺県の管轄下の国有地となる。堺県のもと小 野氏による新田開発「小野新田」が信太山丘陵の130町におよんだ。明治18年の陸測 図にも、山ノ谷集落の西隣に家々が描かれ「小野新田」と記されている。小野新田では、 主として養蚕(ようさん)が行われていたが、水不足や台風被害も重なり、明治10年代 末ころまでに、経営は放棄された。 これはかつての神社管理時代の名残でしょうか?

ちちよに街道 うどんやさん

2014/10/04 15:28:06

ちちよに街道 うどんやさん

関連リンク

だんじり 草部あたり

2014/10/04 15:39:41

だんじり 草部あたり

通行規制ですごいことになっています。

だんじり 鳳

2014/10/04 15:42:26

だんじり 鳳

父鬼街道の起点はここ熊野街道からの分枝点になりますが、本日は泉州地区祭礼の特異日であちらこちらで祭礼です。 ここ鳳でもおのおのの町がだんじりを曳いています。おそら数万人が見物に訪れていました。

だんじり 鳳

2014/10/04 15:42:26

だんじり 鳳

いゃー しこって ます。 この大工方の人は、いわゆる「おじさん」世代なんですけど、がんばってました。

だんじり 石津神社

2014/10/04 16:08:06

だんじり 石津神社

泉州は祭礼三昧でした。

日暮れ時

2014/10/04 16:35:21

日暮れ時

長い一日がすぎました。