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開始日時 | 2021/10/16 06:30:07 | 終了日時 | 2021/10/16 12:27:41 |
水平距離 | 75.26km | 沿面距離 | 75.30km |
経過時間 | 5時間57分34秒 | 移動時間 | 4時間39分21秒 |
全体平均速度 | 12.64km/h | 移動平均速度 | 16.12km/h |
最高速度 | 41.50km/h | 昇降量合計 | 718m |
総上昇量 | 364m | 総下降量 | 354m |
最高高度 | 115m | 最低高度 | -13m |
2021/10/16 06:36:29
神社由緒:延享2年(1745)3月竹中作右衛門(屋号・松屋)が、大和川河口左岸の新田開発に着手し、同年8月成功と鎮守の産土神として同社を勧請しました。
大正4年(1915)10月神饌幣帛供進社に指定されました。
平成13年(2001)阪神高速道路大和川線の工事着手に併って、社殿の移築となり、平成26年(2014)6月に、旧境内から南へ300mの当地に遷座されました。
同時に、ご神木「チシャの木」も移築されました。このチシャの木は堺市内で唯一であり、堺市指定保存樹木となっております。これほど大きな木は関西地方でも珍しいといわれています。
毎年7月に夏祭の神賑行事として、子供神輿による巡行が行われます。
2021/10/16 06:36:29
阪神高速大和川線の開通に伴い2001年の移築に伴いこちらの場所に移植されました。ちしゃの木は関西では数少ない木です。
2021/10/16 07:33:10
大阪府の天然記念物にも指定されている、永福寺境内にある巨木『いぶき5株』のことで、
かつて伊吹山から移植されたとも伝えられています。
樹齢は800~900年といわれています
2021/10/16 08:57:39
阿間河滝町に入り、橋を渡り、道を昇ると、椋の大木が目にはいります。木の中は空洞となっているが、勢いは大変盛んで、しめ縄がかけられて、ご神木として大事に保護されている。高さが5m余り、周囲が3m以上あり、四方に張っている枝振りは見事である。昭和41年に、市の天然記念物に指定されている。
岸和田市観光課HP転記
2021/10/16 08:57:39
環境省の巨樹巨木林データベースでは、幹周/4.65m、樹高/10mになっています。
2021/10/16 09:30:34
松尾寺のくすは松尾寺バス停のすぐそばにあり、遠くからでもすぐ眼につく。近づいてみると、その存在感に圧倒される。枝は四方にバランスよく伸び、非常に均整がとれている。葉も十分茂っていて健全に生育している。
大阪府HP転記
2021/10/16 09:31:17
ほんとに大きな木で自転車と比較すると大きさが解る。
2021/10/16 09:47:38
駐車場のすぐ側にあった。 樹齢250年、樹高15m、目通り幹周3.3mと記された雄株の樹である。
大阪府天然記念物
2021/10/16 09:50:24
2021/10/16 10:29:28
根元で二つに分かれているため、夫婦楠と呼ばれています。
2021/10/16 10:29:28
幹周/11. 0m、樹高/21m。東側(写真右側)幹周/5. 8m、西側幹周/6. 9m。かって中央にあった主幹が失われた後、両側に芽吹いたものと考えられます。
2021/10/16 10:36:46
安倍晴明生誕伝説が残る大阪府和泉市葛の葉町にある信太森葛の葉稲荷神社
150年前に書かれた風景が掲げてある。
2021/10/16 10:58:17
幹周/5. 4m、樹高/24m、樹齢/推定850年。
2021/10/16 10:58:17
ご神木になっていますが、非常に元気な木でした。
2021/10/16 11:16:10
「くす」は暖地に多く生育するクスノキ科の常緑樹で、独特の芳香を生じ、市内には約30本の大木が知られています。
「月見祭」の「ふとん太鼓」で有名な百舌鳥八幡宮(もずはちまんぐう)の本殿向かって右側には、樹勢の極めて旺盛な本樹が神木として祭られています。樹齢(じゅれい)は700年とも800年ともされる古木です。
堺市HP転記
2021/10/16 11:23:44
「くす」は暖地に多く生育するクスノキ科の常緑樹で、独特の芳香を生じ、市内には約30本の大木が知られています。
本樹は、これらの中でも屈指の規模を誇るとともに、樹齢(じゅれい)は800年とも1000年ともされる老巨樹です。
また、このくすは、この地が広く開墾された頃から雨乞いの効験あらたかな霊木としてこの地の人々に親しまれています。
大阪府天然記念物
2021/10/16 12:12:37
西本願寺堺別院は、足利義氏の第四子祐氏が、本願寺覚如(親鸞の曾孫) に帰依して、一寺を創建したのがその初めと伝えられています。明治初めにはこのお寺に堺県の県庁が置かれていたように、中世から近世にかけての商業都市・堺の中心地でありました。
もう少し経ったら紅葉がうつくしくなります。