長谷川貞信の浪速百景をライドル。

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現在の軌跡: 08 10 2022 06:48

プロフィールマップ

GPSログ解析

開始日時2022/10/08 06:48:16終了日時2022/10/08 13:43:48
水平距離62.38km沿面距離62.44km
経過時間6時間55分32秒移動時間5時間18分27秒
全体平均速度9.02km/h移動平均速度11.62km/h
最高速度35.81km/h昇降量合計613m
総上昇量350m総下降量263m
最高高度56m最低高度-85m

レポート概要

天保~明治にかけて長谷川貞信と云う浮世絵師が存在しました。古い記録に「大坂の人、安堂寺町浪華橋筋に住す、俗称奈良や徳兵衛」とのみ書かれているそうですが、名所絵や美人風俗画等を残しています。特に幕末明治大坂の名所絵である浪速百景は当時の大坂の風景や風俗が感じられて見ていて飽きない独特の味があります。
長谷川貞信の描いた「浪速日百景」は60作位制作されたらしいのですが、現在大阪府立図書館の「おおさかeコレクション」として長谷川貞信の浪速百景の38作品ネット公開されています。今現在その場所がどうなっているのか?面白そうなのでライドって見ました。
※描かれた当時の構図にできるだけ忠実に撮影してみました。マーカーリスト内の関連リンクを押し下げると大阪府立図書館のコレクションにリンクしています。
※現在存在しない所は大体の方向で撮影しています。

写真レポート

長谷川貞信浪花百景

2022/10/08 14:21:24

長谷川貞信浪花百景

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住吉高灯籠

2022/10/08 07:04:52

住吉高灯籠

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現在の高灯籠はかつてあった位置から東へ約210mほど移動しています。漁から帰る人たちでしょうか?大きな魚籠を抱える男たちが西から東に向かって歩いていますね、海に向かって歩く家族連れと思しき人々は奥に描かれた橋の下に流れる十三間川で船に乗って家路に付くのでしょうか?遠くに淡路島と明石の岸が描かれています、高灯籠の東北東から西南西に向かっての風景です。

住吉そり橋

2022/10/08 07:08:12

住吉そり橋

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住吉大社の西門こしに太鼓橋を望む構図での描写です善男善女がお参り仕手いる様子が描かれていますが、太鼓橋の手前に橋から転がり落ちたおじさんが書かれていておちゃめですね。

住吉神宮寺

2022/10/08 07:23:20

住吉神宮寺

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昔日本では仏教と神道とは明確に区別されることなく共存していました、住吉大社も明治になるまで境内に神宮寺が存在していました。明治維新後徹底した神仏分離が行われ、ほとんど全ての仏堂が破壊され東塔もこの時、棄却された。西塔は明治6年阿波切幡寺に「5円何十銭」かで売却され、明治11年上棟され、現在は重文指定を受けている。名所絵にあるのは西塔なので現在徳島の切幡寺に行くと見る事ができますね。

雲水邦福寺

2022/10/08 07:51:54

雲水邦福寺

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現在は在日本朝鮮仏教徒協会の傘下にある寺で統国寺と名を改めていますが、もともとは黄檗宗の邦福寺という寺で、大勢の雲水がいたことから別名雲水寺とも呼ばれていました。名所絵内には・・・見渡せば須磨 明石 淡路
嶋山をのぞみ漂々たる蒼海はるかにして・・・実に幽静閑雅の地なり と風流な事が書かれています。

四天王寺東門

2022/10/08 07:57:37

四天王寺東門

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この門前は河内大和の通路なれど おほくは南門に来(きた)るを便利となにゆへ常に閑静にして風色物さび松風颯々(さつ/\)として仏地の微妙(みみやう)をしめし 実に殊勝の景地なり 且例月廿一日は浪花大師巡りの順ろなればくん集(じゆ)なすことおびたゞしく又此辺すべて梅林多し

口縄坂

2022/10/08 08:07:02

口縄坂

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口縄坂は、天王寺区下寺町2丁目、称名寺の北側から東へ登り、「十三まいり」の太平寺から松屋町筋に到る緑濃い静かな石畳の坂である。口縄とは蛇のことであり、坂の下から眺めると、道の起伏が「蛇(クチナワ)」に似ていることから、この名前が付けられたという。また大阪城築城のとき、縄打ちを始めた地であるためという説もある。坂を登ると織田作之助の文学碑が右手にあり、「木の都」の一説が刻まれている。騒々しい市内にあって、このまちなみは、何かもの静かな雰囲気がある。大阪府HP転記 名所絵には太平寺の紅葉が美しく彩られています。

安居天神

2022/10/08 08:12:21

安居天神

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安居天神社(やすいてんじんのやしろ)は荒陵山の地にして四天王寺伽藍の西五十丁にあり南は一心寺に向ひ北は新清水(しんきよみづ)に隣(とな)る境内一隊の丘山にして西ははるかに蒼海を見わたし須磨明石の?々淡路嶋山の遠望近くはなんば今宮の村里まで?の下にさへぎり本社の?しろは桜おほくして?生(?ひ)の頃は茶店(ちやてん)軒をつらね?婦雑客こゝにつどひ?歌舞の声絶(たゆ)る?まなし

広田社雪景色

2022/10/08 08:18:09

広田社雪景色

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社頭は住吉堺紀州大峯高野の街道にて行人絶る間(ひま)なく中(ちう)秋(しう)の頃は此辺萩の葉おほく且虫の名處にして雅俗の遊客こゝにつどふも多かりき

長町毘沙門堂

2022/10/08 08:22:38

長町毘沙門堂

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長町毘沙門堂は難波御蔵前よりひがし二丁にありて境内は長町へ通り抜けなり 此尊像霊験著明(いちじる)して詣人絶ゆるときなく読誦(どくじゆ)仰(かつ)合(がう)の声宝前に喧(かまびす)し且鳥居前は廣田今宮及び住吉街道なく此所より多門天尊を遙拝して過ぎざる者は稀なり

※現在は日本橋電脳街になっていて敷地もずいぶん少なくなっている、絵図から西北西から東南東方向への眺めが描かれているが今は展望が効かない。

梅屋敷

2022/10/08 08:31:51

梅屋敷

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生玉のひがし桃畑のうちにありて梅林一園の柏戸(りやうりや)なり盛りの頃は数株(すちう)の梅香薫々として四方に散じ雑人(ざうにん)墨客こゝにつどひて風雅に遊び花に諷ふありさま実に春興此に尽すといふべし殊更近年あらたに楼宴席風流をつくし又此辺の土をもつて陶器をつくり是を土産にひさぐなど すべて風雅の致景をまして浪花遊観の勝地となれり

自安寺妙見宮朝参の図

2022/10/08 08:40:11

自安寺妙見宮朝参の図

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自安寺は道頓堀の南にありて此寺中の妙見宮はその霊験著明(いちじる)く江南の繁花につれて昼夜詣人絶ず就中尻愛を願わんとて俳優(やくしや)および娼妓の輩(ともがら)信仰なすこと朝まだきより夜は更ける迄柾(まさ)下駄の音ゆる閑なく線香のけふりは檀上のの顔に輝く 月々の午の日の群参(ぐんさん)いわんかたなく是みな妙見の二字によるものならん歟(か)※江戸期の絵図を見ると千日の刑場の背中合わせに自安寺が描かれている・昔の人は刑場へプロレスでも見るようなノリで赴いていたのかも知れない?

難波御蔵

2022/10/08 08:45:20

難波御蔵

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難波邑御蔵(なんばむらおんくら)は大坂御城米御囲(ごじょうまいおんかこい)所(しよ)にして回(めぐ)り十五六丁あり御船入は新川より続き水門厳重にして此辺(ほと)り樹木老茂りその気色寂莫(じやくまく)として閑静なり此川添に木津難波にかよふ橋ありこれを世俗幽霊ばしといふその由謂(ゆえん)をしらず惣(すべ)て此辺の田甫(てんぽ)綿藍おほく夜景最も威あり※名所絵に手前にある川は埋め立てられて今は阪神高速環状線になっている。

鉄眼寺

2022/10/08 08:48:48

鉄眼寺

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浪花百景之内瑞龍寺俗に鉄眼寺と云瑞竜禅寺は鐵限和尚の開基たるゆへ俗に鉄眼寺といふ難波邑北の入り口にありて黄檗派(おうばくは)の檀林なり寺中に老樹森々(しん/\)として堂舎客殿いらかを並べその幽静いはんかたなく且近ごろ門前の両側二三丁桜楓(もみぢ)を植つらねて春秋の光景(けしき)を増し浪花の檀林此寺に勝るはなし

三津八幡宮

2022/10/08 08:55:45

三津八幡宮

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三津八幡宮(みつはちまんぐう)は嶋の内佐野屋(さのや)ばし筋にありて即ち社頭の町を八まん筋と云 此所に鎮座し玉ふこといと古きよし摂津志および諸書に見へたり 境内に一株の老樹ありて詣人たへず賑はしく此辺?べて古手屋道に繁昌なすことみな此神の在(います)によるべし

四ツ橋

2022/10/08 08:59:22

四ツ橋

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なには国景の内
四つばし 東西は長堀川にて南北は西横ほり川の二流十文字の中に渡せる橋四つあり 各々名はあれど只そのはしの数によりて四ツばしの名高し名物煙管屋は西南詰に軒をならべ 家毎(やごと)に客を招かんことを争ふ 此辺新町堀江及び道とん堀(ゆきゝ)にぎはしく浪花(ろうか)順爛の専地と いわんか

心斎橋通初売之景

2022/10/08 09:03:00

心斎橋通初売之景

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心斎橋通りは浪花第一の繁華にして昼夜往来の絶る時なく順慶町より南戎ばし迄は殊に賑しく商家ならざるはなし 正月二日は初うりにて未明より軒ことに提灯を出し初荷年玉配りの声衢に満ちて実に大都会のさまなりかし

小ばしや呉服店

2022/10/08 09:07:46

小ばしや呉服店

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小橋屋初代の円清は元々本町二丁目古手商小橋屋四郎右衛門に奉公していましたが、後に古手問屋として独立し、塩町4丁目三休橋筋の角屋敷を買い入れました。
 小橋屋が御堂筋に呉服店を開業したのは1752年(宝暦2)のことです。繁盛していた様子については『浪華の賑ひ』などでもふれられています。店舗は昭和初期まで存在していたようです。

東本願寺

2022/10/08 09:10:34

東本願寺

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東本願寺は南久太郎町の西にありて難波御堂と云また東西の本願寺大坂にては南北にあるゆへ俗に南の御堂と云 店をいだし西瓜を商ふなり
是を穴門の西瓜とて名に高く往来の人こゝにいこひてしばらく暑さを忘るゝもまた多かりき

玉造稲荷舞台

2022/10/08 09:30:54

玉造稲荷舞台

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玉造稲荷の社は金城の南にありて往古は御城の中(うち)に在(いませ)しと云 此地浪花(ろうか)東の端にて社殿のうしろに舞台あり 是より眺望すれば葛城生駒の高嶺?然(きぜん)として初夏に雪をいたゞき弥生のころは眼下より迄菜花ならざる所もなく 彼のなの花に河内一国くもりけりといへる秀句も此所の吟なるべしとおもひやらるゝの勝地なりかし○近世此所に八尾楽山上人地蔵堂建立ありしより常に詣人(けいじん)群をなして頗る利益を蒙る者多し

桜乃宮春景

2022/10/08 09:55:04

桜乃宮春景

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浪花百景之図
桜の宮 春景
桜宮の春景は前の小淀川の流れをひかへ 屋形家根舩数をつどへて諷ふあり舞ありて歌妓の妙音川風につたへ実に浪花の一佳景といひつべし当此川向ひ川崎には近年金吹場をしつらひ 煙出しの高きこと天をつらぬき其形粧衆人の目をおどりそらにたつ煙りを余所に花くもり 半水

樋の口春景

2022/10/08 10:02:43

樋の口春景

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天満堀川は天保9年(1838)堀川を東へ延伸し大川に通じさせ、合流地点には樋門(樋の口)が設けられました。水は澄み、屋形船が通ずるようになり、堤に新しく桜が植えられると、桜並木が連なり、対岸の桜ノ宮とをあわせ絶好の花見の名所となりました。堀川が大川に通じる地点の堤は一面の芝が広がり、行楽客の人気も高かった様子です。名所絵からは樋門の位置から堤の稜線の上をぞろぞろ人が歩いているので、西北西から東南東を眺めているようです。

鶴満寺

2022/10/08 10:07:25

鶴満寺

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靍満寺(くわくまんじ)は淀川の西岸長柄(ながら)村に有りて 天台宗の一宇なり 寺中に糸桜数株(すちう)ありて しかも老樹たり 満開の頃は雅俗の遊人こゝにつどひて花を賞じ瓢の腹を空しくして田楽に腹をふくらし帰るを忘るも又多かり 鐘楼の古鐘は世に名高く銘および伝記は寺中より出すがゆへ こゝに略す 実に稀代の梵鐘なり

築地蟹嶋

2022/10/08 10:22:31

築地蟹嶋

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船場東北の端にありて淀川の下流大川と東堀に分るゝの鼻に築(つき)いだせしゆへ築地と云 又蟹嶋とも云此川添に拍戸(りやうりや)旅舎(はたごや)軒をならべ何れも三がいだてにてざしきの好みざうさくばんたんひれいをかざり風し且料理向頗るびにしてよの客舎(はたごや)に同じからず 故に四方のゆうりよう歌妓(うたひめ)娼婦(あすびめ)をつれてこゝに遊(あすぶ)の通客多く 或は茶ぐちんきの入札又は音曲の集会など常に絶(たゆ)ることなく金城の旭らゝかに三大橋を見わたし実に市中の絶景こゝに尽すと いふべし

高麗橋

2022/10/08 10:23:59

高麗橋

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高麗橋は船場より上町にわたして浪花(ろうか)天橋の第一なり西づめ矢倉屋敷は其かみ御城の旧跡を残し恵美須屋岩木三ツ井の呉ふく店(だな)よりとらやの菓子店にいたるまで皆この通りに名をとゞろかし昼夜の往来(ゆきゝ)たゆるく実に繁昌(はんくわ)の眼目なりかし

神明宮

2022/10/08 10:34:37

神明宮

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神明宮(しんめいぐう)は天満西寺町の南に在(あり)て世俗入日(いりひ)の神明宮といふ 本社は西向にして近世北の方(かた)に築山をきづき末社のかづ/\爰に鎮めて其風景いはんかたく且鳥居前は新屋敷の青楼(せいろう)つらりて妓婦(ぎふ)?妙音絶(たゆ)るときなく常に繁昌なすこと皆これ神慮の余沢(よたく)なるべし

露の天神

2022/10/08 10:37:15

露の天神

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浪花百景之内露の天神
曽根崎邑(そねさきむら)露の天神(つゆのてんじん)は菅公(かんこう)筑紫へ左遷なし玉ふのとき此處に船どまりし玉ひて 露とちる泪に袖はくちにけりみやこの事をおもひいづかくなん詠じ玉ひけるより爰に社を建て露の天神と号す即ち曽根崎村の産土神(いぶすなじん)とす祭礼六月廿日九月廿日とす

北新地樋之橋白雨

2022/10/08 10:42:14

北新地樋之橋白雨

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此里は蜆川に添ふて東西七八丁が間 両側裏町 青楼建ちつらねて 壱丁目 二丁目三丁目と分かち 南は大川堂嶋に隣り北は曽根崎北野の佳景を望む 殊に二丁目は妓娼(こども)の品格賤しからず 諸候の御蔵屋敷 貴客(きかく)富客(ふうく)遊宴して四時(しじ)の繁昌他のさとに勝ると いふべし

中之島蛸の松

2022/10/08 10:51:23

中之島蛸の松

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章魚松(たこのまつ)は久留米候の御蔵邸の浜にありて則ち中之嶋田簑橋の西なり老鬱(おううつ)たる古松(こしよう)にして実木(みき)に連縄を結ひ鉄を以て枝をためそのかたち八方に繁茂なすゆへ是に依て号(なづけ)しなるべし此辺り都(すべ)て諸侯の御邸達つらなり前には大川の流れをひかへて風景たぐひなく唐土(もろこし)漢東の港に似たりといふ夏日(かじつ)は網舟に興じて此松かげに鯉を煮るなど見るにさへ涼しき心地ぞ せられる

合羽嶋より東を望む

2022/10/08 11:01:44

合羽嶋より東を望む

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合羽嶋は堂嶋の末にして大川蜆川の合流のところなり此辺すべて川巾広く風景絶妙にして 南は嶋の末諸侯の屋舗(やしき)立つらね 北は福嶋の末より野田村の入口にいたる 東を詠脉(のぞ)めばはるかに玉江橋を見わたし其いはんかたなく是また浪花(ろうか)の勝地といふべし

浦江の聖天

2022/10/08 11:30:05

浦江の聖天

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浪花百景之内
浦江の聖天浦江邑観喜天尊は五百羅漢の西北在りて浪花天尊の第一たり霊験著明(いちじろく)して病気平癒および祈るに福徳円満を降(くだ)し玉ふがゆへに米穀売り買いの人は殊に信心をこらし昼夜仰合(かつがう:渇仰?)の声絶ま桜楓(もみぢ)多く初夏の頃は杜若咲乱れて雑人こゝにつどひ遊観なすも多かりき

五百羅漢

2022/10/08 11:34:18

五百羅漢

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妙徳禅寺(みやうとくぜんじ)は上福嶋にありて世に五百羅漢と云寺中に五百羅漢を安置し此仏像何れも古作にして近世堂舎の修復なりて荘厳もつとも美々たり門前の両側は遊所ありて是を羅かん前といふ 此辺浪花(ろうか)北西の端にの景色よし

川口の真景

2022/10/08 11:52:23

川口の真景

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土佐堀川 堂嶋川 蜆川の三流合し此所に分流して一は西へ あぢ川に落一は南へ木津川に落つる 此図は木津川の分れ口にて船御番所ぎゝとして ちうや出船入船を改めたまふ此ほとり都(すべ)て景色(けいしよく)絶妙にして雨中雪中はいりことに月夜は老欝(おううつ)たる古松 水上に影をひたし ざこばに通ふ漁船の棹方 楫取(かんどり)のこへ川風にさんじて 閑静なることいはんかたなし

安治川橋

2022/10/08 11:56:27

安治川橋

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安治川橋跡  貞享元年(1684)、河村瑞賢の安治川を開削。元禄11年(1698)に富島、古川の新地開発が完成。安治川橋は新地開発に伴い架設。明治6年(1873)、居留地の交通の便を図るため新しく安治川橋が架設。高いマストの船が航行するときは、橋桁が旋回する「可動橋」だった。磁石橋とも称され名物となった。明治18年(1885)、大洪水が起こり、大阪市内の洪水を防ぐため工兵隊により爆破撤去された。

川口の新大橋

2022/10/08 12:07:27

川口の新大橋

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木津川橋 慶応4年(1868)に川口と江之子島を結ぶ新大橋として架けられた。当時、大阪開市、開港に備えて運上所が設置され、続いて居留地が設けられた。川口は洋館が建ち並ぶ異国情緒あふれる町に変貌した。洋服や洋食、時計やランプ、オルガンなどは川口から畿内に広まっていったそうだから、文明開化の最先端を行く土地だったのだろう。名所絵には橋をわたる日本人に混じって馬に跨る洋人と清の服を着た人々が描かれている。

雑喉場

2022/10/08 12:08:08

雑喉場

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かつてこのあたりに百間堀川がながれていた。川幅は30メートル程で江戸堀川、京町堀川、阿波堀川を集めて木津川に合流していた。百間堀川の東岸鷺島は、江戸時代より雑喉場の魚市と呼ばれ天満の青物市、堂島の米市とならぶ大坂三大市場の一つとして、大坂人の台所をまかなっていた。その当時の雑喉場はことのほか活況を呈し大坂商人の商人魂を培っていた。しかし、300年の歴史を持つ雑喉場も昭和6年の中央卸売市場の開場によりその歴史を閉じた。
 江戸後期、雑喉場から百間堀川をこえて、対岸の江之子島に架かる橋は、上之橋、下之橋の2橋があった。明治に移り、7年に江之子島に大阪府庁舎が建設され、その翌年、大阪で5番目の鉄橋として下之橋とほぼ同じ位置に雑喉場橋が架けられた。その後2度改築されたが昭和39年に百間堀川の埋立てとともに、雑喉場橋も姿を消した。大阪市HP転記 

松ヶ鼻

2022/10/08 12:12:18

松ヶ鼻

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この所は木津川町の北の端にして、東の岸は新町通の西にあたれり。名木の松ありて、蒼々たる枝葉、川の面にうつる景色斜ならず。夏の頃は舟行の遊人この松の下に棹さしよせて、涼風を賞し、花火焼(た)きて楽しむなど、その瞻望(ながめ)また比(たぐ)ひなし。松の下に蛭子祠(えびすのやしろ)あり。ゆゑに恵美須(えみす)の松と称す。もとはこの地を笑姿島(えみすじま)といひしとぞ。

天満御旅所

2022/10/08 12:22:02

天満御旅所

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満天神の御旅所なり 則ち戎嶋にあり 社頭曠々として境内に梅花多く 如月のころは遠近にかをちらして御愛樹のい徳をしめし 前は木津川の流れをうけて住吉詣で 尻無川の紅葉見なと都(すべ)て此所を過る家形舟にはかかへるありしゞの遊観また類ひ なし

川口甚兵衛の小家

2022/10/08 12:42:17

川口甚兵衛の小家

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大阪市建設局のホームページによると、
≪昔、尻無川の堤は紅葉の名所でした。「摂津名所図会大成」に『大河の支流にして江之子じまの北より西南に流れて、寺島の西を入る後世この河の両堤に黄櫨の木を数千株うえ列ねて実をとりて蝋に製するの益とす されば紅葉の時節にいたりては河の両岸一圓の紅にして川の面に映じて風景斜ならず 騒人墨客うちむれて風流をたのしみ酒宴に興じて常にあらざる賑ひなり 河下に甚兵衛の小屋とて茶店あり年久しき茅屋にして世に名高し』とあり、甚兵衛によって設けられた渡しにある茶店は「蛤小屋」と呼ばれて名物の蜆、蛤を賞味する人が絶えなかったといわれます。
 現在も甚兵衛渡船場は健在で、大正区泉尾七丁目と港区福崎一丁目を結び(岸壁間94メートル)、朝のラッシュ時は2隻の船が運航しています。平成29年度現在1日平均約1,189人が利用しています。≫とあります。※尻無川の右岸から河口方向を描いていますね。