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開始日時 | 2021/11/06 06:31:02 | 終了日時 | 2021/11/06 12:27:46 |
水平距離 | 69.44km | 沿面距離 | 69.50km |
経過時間 | 5時間56分44秒 | 移動時間 | 4時間50分54秒 |
全体平均速度 | 11.69km/h | 移動平均速度 | 14.24km/h |
最高速度 | 36.97km/h | 昇降量合計 | 945m |
総上昇量 | 510m | 総下降量 | 435m |
最高高度 | 136m | 最低高度 | -74m |
2021/11/06 06:55:41
「鷹合」という地名については「日本書紀」仁徳天皇43年秋9月条に「依網屯倉阿弭古(よさみのみやけあびこ)が網を張っていると、見たこともない異鳥がかかり、天皇に献上した。天皇は酒君を呼んで尋ねると、これは百済に多い鷹という鳥で、百済では鷹で小鳥を捕らえる遊びが流行していますと答えた。
じゃあお前が飼って慣らせと命じられ、酒君は『おしかわのあしお』というものを脚に、尾に鈴をつけ、訓練して再び帝に差出す。
帝は大いに喜び百舌野で狩猟され、多くの雉を捕らえる。これはすばらしい鳥だ、もっと増やそうと鷹甘邑と呼んだ」との内容があります。
東住吉区HP転記
2021/11/06 06:56:03
昭和55年10月大阪市条例により「保存樹木」としての指定を受けました。
2021/11/06 07:06:02
平野区の公園のポプラ
2021/11/06 07:12:01
かつての八尾街道を東進する。
西進する場合は住??街道となる。
2021/11/06 07:34:14
大阪府の指定天然記念物
川神社は、もとは瀬川の東岸にあったが洪水に流されて1572年にここに移されたという。境内は、中低木が少なく、ムクやクスの大木が多い。
このくすは、神社の北隅にあり、すぐ下は道路となっている。枝ぶりも良く、樹勢も旺盛で、初夏にはコノハズクが子作りにやってくるらしい。
2021/11/06 07:47:44
主祭神経津主命の後裔で矢作連の一族が早くこの地に住して朝命を受けて矢作りの業に従事した。
当事この地方は豪族物部氏が支配しており、その一族の矢作連が祖先を氏神として祭祀した。
延長5年編纂した延喜式神名帳に河内国若江郡に記載され、式内社の名高い社であった。
よって八尾の地名が当社から由来したといわれている。
2021/11/06 07:49:17
本殿北に大きな楠が茂っている。
2021/11/06 07:52:47
「大銀杏」の説明板があり、「所々に乳房状の垂下物があり昔kらあこの部分の薄皮を剥ぎ煎じて用いると乳房の病を治癒し、乳汁(にゅうじゅう)を豊かにすることで不思議なりと言い伝えられています。」と記されています。そして、八尾市文化会館大ホールの緞帳(どんちょう)の図柄にこのイチョウが採用されているそうです。
現地掲示板
2021/11/06 08:31:06
式内社で玉祖明神とか、高安明神ともいう、 高安十一カ村の氏神で、和銅三(七一〇)年周防国から分霊を勧請したもので、祭神は櫛明玉命である、この地に玉造部の人人が住んでいたので、その祖神をまつったものであろう。 寺宝も多く、北条時政の制札(重文)男女神像(府、重、美)樟樹(府天然記念物)豊臣秀頼寄進の石灯篭などがある。 神社の北方を東西に十三街道が走り、大阪の玉造に通じ、玉祖、玉造りの地名からこの街道のもつ意義は大きい。【出典:『史跡の道・説明石板』(八尾郷土文化推進協議会・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市教育委員会、1981年)】
2021/11/06 08:27:25
玉祖神社のくす:玉祖神社の参道の石段の前段をあがった右手の所にあります。地上からすぐの所で幹(みき)が三つに分かれています。幹周(みきまわ)りが8.5m、樹高20.6mもあり、巨樹の一つとして、昭和45年2月大阪府天然記念物に、昭和61年4月には八尾市保全樹木に指定されました。渋川神社のくす及び垣内の善光寺のくすと、市内におけるくすの三大樹として有名です。
【出典:『八尾市文化財情報システム』より】
2021/11/06 08:36:10
2021/11/06 08:47:21
服部川に鎮座する。神社沿いの池・鳥居の赤・大きなくすのきの緑のコントラストが美しい神社です。境内にそびえるくすのきは、八尾市指定の保全樹木です。他にも祠が二つあります。
八尾市観光データベース引用
2021/11/06 08:47:38
大きな楠が二本茂っている。
2021/11/06 09:03:58
断山善光寺と称し一光三尊の阿弥陀如来を本尊とする。元善光寺ともいい、本田善光が難波の堀江に於いて仏像を感得し、信濃へ帰る途中ここに一泊し、まずその分身をまつり庵をたて翌年再び訪れて当寺を建立したものと伝える。 境内には府天然記念物の大樟樹があり不断梅、信濃柿とともに三名木としてその由緒を語るものがある。 毎年四月、九月の十六日には盛大なお通夜行事が行われ翌朝ご本尊の開帳がある。【出典:『史跡の道・説明石板』(八尾郷土文化推進協議会・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市教育委員会、1980年)】
2021/11/06 09:04:41
幹まわり6.27m、樹高25mあり、樹齢はおよそ800年です。本田善光が、信濃(しなの:現在の長野県)に帰って再びここ垣内(かいち)に来た時、ついて来た杖をここにつきさしたのが、芽を出して大きくなったものとの伝説があります。昭和45年2月大阪府天然記念物に、昭和61年4月には八尾市保全樹木に指定されました。
2021/11/06 10:03:20
樹高は25メートル以上、目通し径6メートル、枝張りは東西23メートル、南北21メートルをはかるまれにみる楠の巨木です。竹内街道を歩いていると、春日の集落の中にそびえるこのくすは、一目でわかります。くすのある鎌田家は、春日村の庄屋をつとめた名家です。昭和49年に大阪府の指定天然記念物となりました。
太子町HP転記
2021/11/06 10:36:44
壺井八幡宮は、大阪府羽曳野市にある神社。旧社格は村社。武家の棟梁・河内源氏の氏神であり、源義家が愛用したとされる黒韋威胴丸や天光丸の太刀などが伝わっている。京都市の六孫王神社や川西市の多田神社と並ぶ源氏三神社の一つである壺井権現社がある。
2021/11/06 10:38:19
「壷井八幡宮のくす」は、樹齢800年、樹高25m、目通り幹周7.25mと記された立派な楠で、 発達した根元の広がりと特徴のある枝振りに印象が残る樹です。
2021/11/06 11:43:47
昔は気軽に入れたはずですが。今はフェンスで囲われ入口にはカギがかかっているので、傍で見る事はかないません。
2021/11/06 11:45:36
狭い住宅地の中に大きく枝をのばしています。
2021/11/06 12:05:57
昔、この辺りに住之江の浦と連なる小さな湾で、そこに小島が出来、遠く推古天皇の御代(五九○年代)聖徳太子御巡遊の折、白髪の老翁が太子に、昔より此処に埋る香木有り、と伝えて去る。太子が不思議に思い、掘らせたところ、果たせるかな地中より幾千年も経たと思われる朽木が出て、これを焼かせたところ馥郁優なる香りたなびき、その時太子が「浅からぬ香り」と仰せられて、以後この地を”浅香の浦”と呼び、その香木で老翁の像を刻みここにまつられたのがこの神社の創始と言われています。
2021/11/06 12:06:18
堺市古樹名木指定樹(堺市指定保存樹木)
「浅香山稲荷神社」は、盛り上がった塚の上に、表の「クスノキ」と裏の「ムクノキ」の2本の巨木に、抱きかかえられるように鎮座しています。
それぞれ、「楠姫大神」「天竜大神」として、しめ縄が巻かれ、堺市の保存樹木に指定されています。