日本一急勾配な酷道308号線を登ってみる。

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NEWTRACK001

プロフィールマップ

GPSログ解析

開始日時2015/01/11 08:10:02終了日時2015/01/11 15:14:46
水平距離69.86km沿面距離70.31km
経過時間7時間05分52秒移動時間5時間19分47秒
全体平均速度9.91km/h移動平均速度13.19km/h
最高速度42.93km/h昇降量合計2617m
総上昇量1293m総下降量1324m
最高高度473m最低高度-13m

写真レポート

日本一勾配のキツイ国道を登る

2015/01/11 08:14:11

日本一勾配のキツイ国道を登る

日本一勾配が在ると云われている(最大43%とか?)国道308号線旧街道で云う所の暗越奈良街道を走る。

2kmで高低差400メーター近い勾配がある。ただ登るだけでは面白くないので、熊野街道・暗越奈良街道・龍田越奈良街道を走ってみた。

画像は今でも古い家並みが残る住吉付近

阿倍野王子神社

2015/01/11 08:23:39

阿倍野王子神社

関連リンク

かつては阿倍王子(あべのおうじ)といい熊野神社の分霊社である九十九王子のひとつであった。

阿倍野ハルカス

2015/01/11 08:28:54

阿倍野ハルカス

バベルの塔見たい。

四天王寺

2015/01/11 08:31:47

四天王寺

熊野街道との分枝点

2015/01/11 08:41:47

熊野街道との分枝点

安堂寺町に熊野街道と伊勢本街道(高麗橋経由)の分枝点がある。

東雲稲荷神社の伊勢本街道道標

2015/01/11 08:49:37

東雲稲荷神社の伊勢本街道道標

謂れは不明ですが古い道標でした。

かつては市街地が広くなかったので、玉造村へ至る途中の稲荷社へ道しるべを建てたのかも解からないですね。

暗越奈良街道起点

2015/01/11 08:55:47

暗越奈良街道起点

暗越奈良街道(くらがりごえならかいどう)は、大坂から暗峠を超えて奈良に至る街道であり、数ある奈良街道、伊勢参宮街道の一つである。「日本の道百選」にも選定されている。

近世までの起点は玉造で、安堂寺橋通に直結していた。明治時代に道路元標の置かれた高麗橋東詰に起点が変更された。

区間:大阪府大阪市中央区高麗橋 - 玉造 - 東成区今里 - 深江 - 東大阪市御厨 - 菱江 - 松原宿 - 箱殿 -(暗峠)- 奈良県生駒市小瀬 -(榁木峠)- 奈良市尼ヶ辻 - 春日大社

中道本通警ら連絡所は

2015/01/11 08:55:47

中道本通警ら連絡所は

昭和12年に建てられ、府内の連絡所の中で5番目に古いものです。
戦争により周囲の家屋の大半が空襲で焼損する中で唯一、焼け残りました。
戦時中このあたりから大阪城の東(京橋)にかけては空襲がひどかったので、よくぞ残っていた事ですね。

おかげ燈籠と菱江村

2015/01/11 09:35:02

おかげ燈籠と菱江村

天保2年(1831年)に建てられたこの燈籠は、「おかげ燈籠」と呼ばれています。
江戸時代の終り頃になると、幕府の政治に対して、全国各地で百姓一揆や打ちこわしなどの事件が多くおこります。
慶応3年(1867)には、一揆や打ちこわしにかわって「ええじゃないか」が秋から冬にかけて広がりました。
菱江の村も例外ではなく同年11月にこの事件が発生します。
11月下旬にお札がふったということで、12月1日から6日ごろまで、「おかげおどり」がつづけられました。
そのおどりには、のぼりが準備され、三味線・笛・太鼓が使われました。
そして「ええじゃないか、ええじゃないか」とはやしておどりました。
菱江村は暗越奈良街道が村の中を通り、多くの人々の流行がありました。
明治2年(1869年)の村明細帳によると、酒造屋・

近鉄 額田駅 あたりの踏切

2015/01/11 09:55:57

近鉄 額田駅 あたりの踏切

近鉄 額田駅 あたりの踏切から勾配が厳しくなってくる。

奈良街道暗がり越 は現在の308号より一本北に当たるので踏切を越えて右折してすぐ左折するのですが、左折したときの驚きはすごい。

突然住宅地の中の私道に紛れ込んだのか?と思う細い急勾配の道が国道308号線なのです。

酷道308号線

2015/01/11 10:05:17

酷道308号線

で住宅地を通過したあたりが、この状態・・・・

どうせいっていうんじゃい・・このあたりからチャリは押してあがる・・ハイカーのおじさん、おばさんに混じってハイキングしていました。

勾配地獄

2015/01/11 10:36:17

勾配地獄

自転車自体がすでに10度ほど傾いていますので、後背の傾斜は おして知るべし・・

この時点では 自転車押して ハイカーのおじさん・おばさん達と登山です。

最急勾配37%とか43%とか云われるの場所。

2015/01/11 10:37:02

最急勾配37%とか43%とか云われるの場所。

自転車でここをこ越える事は無理でしょう。
右手前のインサイド側なんかは43%とかあるんでしょうね?
道と云ううより「がけ」ですね、ほとんどスキー場の最上部所謂上級者向けコース並ですよ、でもここは国道なんですね・・

昔 探偵ナイトスクープ でここを足つき無しで越えた高校生がいたけど、国体クラスの生徒だった事から、自転車の選手とかプロクラスの人なら越える事が可能なのでは無いでしょうか??

弘法の水と笠塔婆

2015/01/11 10:46:42

弘法の水と笠塔婆

谷あいから湧き出すこの澄水は、通称「弘法の水」と呼ばれ、毎朝一升瓶や水筒を持った人達が飲料水として汲みにくる姿が見られます。
生駒山地にそった標高400m前後の谷あいには、マグネシウムやカルシウム分の多い硬水脈が連なっていて、これが暗越奈良街道の難所、暗峠を前にしたこの場所に湧き出しているものです。
古代以来、ひんぱんに利用されてきたこの山道を通る人々の潤いの場所となっていたことでしょう。
かたわらに、何体かの石仏がある中に、右手奥に一きわ高い石柱があり、これはもと笠をのせた笠塔婆(181cm)で、鎌倉時代中期の弘安7年(1284年)に建てられたもので、阿弥陀如来坐像の下に「南無阿弥陀仏」の六字名号を刻んでいます。
当時、旅人の安全を祈って建立されたものか、あるいは南東かたのさんちゅうに存在した神感寺との関係があるものかもしれません。

暗峠

2015/01/11 10:58:27

暗峠

やっとこ峠です。

日本の道100選に選ばれていり事と生駒縦走ハイキングコースの途中にある事から、休日はかなりの人手があります。

藤尾町 石造阿弥陀如来立像

2015/01/11 11:09:52

藤尾町 石造阿弥陀如来立像

文永七年(1270)の銘がある古いもの。

この暗越奈良街道は石造物の宝庫らしくてその道が「好きな人たちにはたまらん道らしいいです。

矢田丘陵を走る

2015/01/11 11:47:42

矢田丘陵を走る

道はやがて矢田丘陵を走る、古い道標などがあり趣のある道となる。

追分本陣村井家住宅

2015/01/11 11:53:02

追分本陣村井家住宅

関連リンク

かつての本陣跡ではしい宿場建築として貴重です。

尼ヶ辻阿弥陀石仏

2015/01/11 12:09:52

尼ヶ辻阿弥陀石仏

鎌倉時代後期作裸身のですが、愛嬌のある顔をしています。

奈良縣里程元標と御高札場

2015/01/11 12:30:41

奈良縣里程元標と御高札場

取りあえず奈良街道終点とします。


高札とは、禁制や法令などを民衆に伝えるために街頭高く掲示した板札で、古代から明治の初め頃まであったようです。

大神宮燈篭

2015/01/11 12:49:41

大神宮燈篭

竜田越奈良街道に入る。
かつては伊勢参りで人気のルートであったので、大神宮燈篭があちらこちらに残る。

奈良口町の伊勢神宮遥拝所

2015/01/11 13:02:41

奈良口町の伊勢神宮遥拝所

秋篠川を越えた奈良口町の入口には、伊勢神宮の遥拝所と大きな灯籠があった。
1936年の河内大和地震の復興と武運長久を祈願して郡山町の補助と有志の寄付で建立した旨、刻んであった。

南鍛冶屋町あたりの古い家並

2015/01/11 13:07:06

南鍛冶屋町あたりの古い家並

箱本館 紺屋

2015/01/11 13:10:06

箱本館 紺屋

関連リンク

小泉神社本殿

2015/01/11 13:33:51

小泉神社本殿

関連リンク

法隆寺南大門

2015/01/11 13:56:51

法隆寺南大門

ここまできました。

磐瀬の杜近くの道標

2015/01/11 14:28:51

磐瀬の杜近くの道標

「左 大阪堺道」、「右 龍田神社道」と刻まれる道標。
砂岩製なので風化が激しい。

龍田古道

2015/01/11 14:32:36

龍田古道

飛鳥時代に、難波津・四天王寺と斑鳩里・法隆寺を結ぶ街道として整備された。
峠付近は地すべり地帯でもあり、忘れ去れらたような道。

柏原市峠 地蔵堂

2015/01/11 14:37:26

柏原市峠 地蔵堂

石造 地蔵菩薩じぞうぼさつ坐像

この場所は、江戸時代の亀瀬越奈良街道かめのせごえならかいどうの雁多尾畑かりんどばたの「光徳寺こうとくじ」に通じる道が分岐する所です。
道標には「松谷御堂是ヨリ 六丁」と刻まれ。石榴樹の下に建つ辻堂には石造の地蔵菩薩じぞうぼさつが安置されています。
この像は花崗岩を浮き彫りしたもので、よく見られる立像の声聞形像とは異なり、座像になっています。
地蔵菩薩じぞうぼさつは反花を伴う蓮台の上に半跏趾座し、左手の拳に如意宝珠を載せ、持物のない右手は膝に垂下し、東部は長楕円形で、眉は鋭く、目・鼻・口の表現は整っています。
製作の年代は刻まれていませんが、こうした半跏趾座像は鎌倉時代以降に広まるといわれ、技術的にも秀でていることから、鎌倉時代末から室町時代初期の造像と考えられています。
また延命地蔵とし

川端橋

2015/01/11 14:58:11

川端橋

大阪府柏原市の大和川に架かる吊り橋。大和川に吊橋があったなんて。

昔はここに夏目茶屋の渡しという、渡し舟があったらしいです。

街道はやがて河内平野に緩やかに下りていき、四天王寺へいたり道が終わる。