大坂の街道をポタる。

左上の四角をクリックすると全画面表示になります。

ブログ埋め込み用HTMLタグ

地図の高さ: px     地図の幅は自動調整されます(固定幅にするにはwidthをピクセルで指定)

タグ:

NEWTRACK001

プロフィールマップ

GPSログ解析

開始日時2015/03/27 07:43:25終了日時2015/03/27 17:32:34
水平距離127.28km沿面距離127.67km
経過時間9時間49分09秒移動時間8時間29分40秒
全体平均速度13.00km/h移動平均速度15.03km/h
最高速度46.02km/h昇降量合計1990m
総上昇量1003m総下降量987m
最高高度128m最低高度10m

写真レポート

津守廃寺跡

2015/03/27 07:52:34

津守廃寺跡

明治初年頃まで、その後身といわれる“津守寺”(901創建)が当小学校の地にあったことから、当地が津守廃寺跡とされている。

京橋

2015/03/27 08:35:21

京橋

京橋を基点として京街道と古堤街道が始まる。
今回は古堤街道を走る。

大坂冬の陣古戦場跡  今福 蒲生の戦い跡

2015/03/27 08:48:16

大坂冬の陣古戦場跡  今福 蒲生の戦い跡

 今から401年前、慶長19(1614)年、城東区の鴫野・今福・蒲生付近で大坂冬の陣、最大の激戦が行われました。この辺りは、大坂城の東北になります

諸福の古い家並

2015/03/27 09:09:28

諸福の古い家並

鎌倉時代になると北新町や御領、諸福などにも集落が形成された。

東高野街道

2015/03/27 09:45:07

東高野街道

ここ東高野街道沿いにあります二つの石灯籠の内、左側の大きな灯籠は、花崗岩で組み立てられ、高さ
約3メートルを測ります。
脚部の正面に「二月堂」と刻まれ、側面には、天保十四年(1843)の年号が刻まれています。
 「二月堂」は、奈良東大寺二月堂を指すのでしょう。くわしいことはわかりませんが、古老の話によれば、
当地には、「柳谷・二月堂両観音講」が百数十年前からあって、現在でも三月のお水取りのころには、東大寺
二月堂に参詣するといいます。
 また、右側の石灯籠は「八幡宮」と刻まれ、江戸時代中頃の明和三年(1766)の年号が刻まれています。
これは国守神社が八幡宮と呼ばれていた頃に氏子の人々によって寄進されたものです。  寝屋川市

本尊掛松

2015/03/27 10:01:27

本尊掛松

融通念仏宗中興の法明(ほうみょう)上人が、男山八幡の霊夢を受け、深江の庵室(現大阪市東成区南深江 法明寺)より、 東高野街道を男山に向かう途中、当地で同じ霊夢によって天得如来を奉じて深江に詣でる途中の八幡宮よりの使者に出会い、『十一尊天得如来』の画像を授けられた。
 法明上人は歓喜のあまり尊像を傍らの松に架け、称名念仏を唱え踊りだしたという。これが融通念仏宗の念仏踊りの始まりとされされている。

洞ヶ峠付近

2015/03/27 10:37:53

洞ヶ峠付近

達磨堂円福寺の前が洞ヶ峠にあたる。

安居橋

2015/03/27 10:55:44

安居橋

放生川に架かる木橋。頓宮から100メートルほど南に下ったところにある。不浄の人は渡ることを禁じられていたという。『

飛行神社

2015/03/27 10:59:23

飛行神社

関連リンク

飛行神社は、飛行原理を発見した二宮忠八翁が、飛行機事故殉難者の御霊をお祭りするために京都府八幡市八幡の自宅地内に創設した神社です。

淀緑地の桜

2015/03/27 11:08:52

淀緑地の桜

鳥羽街道を走る(桂川土手)

2015/03/27 11:38:26

鳥羽街道を走る(桂川土手)

鳥羽街道(とばかいどう)は、京都の羅城門跡(京都市南区)から鳥羽を通り淀(京都市伏見区)へと至る街道である。淀からは大坂へと通じる道が続いており、京街道、大坂街道とも呼ばれた。

羅城門跡

2015/03/27 12:08:23

羅城門跡

関連リンク

羅城門跡の横に、矢取地蔵という目立たない地蔵がある。
この奥に羅城門跡に石碑はあるのですが、こちらのほうが古い五輪塔や摩滅した地蔵があったりして雰囲気があります。

久世川原町の道標

2015/03/27 12:21:20

久世川原町の道標

[北]
右 西国街道
[東]
左 字築山五町
[南]
大正六年十二月

神足の家並

2015/03/27 12:48:42

神足の家並

桂川支流の小畑川をさかのぼった沿岸にある集落古い家並みが続く。

勝竜寺城跡

2015/03/27 12:51:26

勝竜寺城跡

勝竜寺城公園(しょうりゅうじじょう公園)は歴史に触れ、やすらぎを感じる公園です。
その昔、勝竜寺城は勝龍寺城として、細川ガラシャが結婚したり、天王山の戦いの舞台となったりと、歴史に登場しました。

自転車は乗り入れ禁止です。

離宮八幡宮

2015/03/27 13:11:54

離宮八幡宮

日本における製油発祥地とされる。その後「大山崎油座」の制度で荏胡麻油の販売権を独占して、多くの兵火に焼かれながらも江戸時代まで栄えた。

西国街道路傍の地蔵

2015/03/27 13:40:29

西国街道路傍の地蔵

郡山本陣跡

2015/03/27 14:21:49

郡山本陣跡

西国街道は、京都と西国を結ぶ重要な道であり、江戸時代には西国の大名が参勤交代の時によく利用しました。京都から西宮までの街道沿いには、山崎・芥川・郡山・瀬川・昆陽の五つの宿場があり、郡山宿本陣は、そのまん中にある宿駅として、重要な役割を果たしてきました。また御成門のそばにあった椿の木が、毎年五色の花を咲かせたことから、「椿の本陣」とよばれ、人々に親しまれています。

牧落の高札場跡

2015/03/27 15:13:02

牧落の高札場跡

もとは牧落村の高札場(掲示板)であり、幕府、領主などの命令規則のおふれを書いた木札を掲示しました。またここは、箕面街道と西国街道の交わる四ッ辻にあり、方向の目安となる道標が今も2基残っています。
刻まれている文字も良く、道標の位置も確かで状態も良いということで今に残る価値のある場所です。

旧石橋村の高札場跡

2015/03/27 15:15:39

旧石橋村の高札場跡

ここは、京都と山陽地方とを結ぶ「西国街道」、大阪と池田・乗せ方面とを結ぶ「能勢街道」(江戸時代は「大阪道」あるいは「池田道」)が交わる場所です。かつで、多くの人々や物資が行き来したこの辻には、幕府や奉行所などから庶民に周知させる法令や禁令、生活の規範などを掲げた高札場 がありました。

原田神社

2015/03/27 15:39:50

原田神社

原田神社(はらだじんじゃ)は、大阪府豊中市中央部に鎮座する神社。

淀川を渡る

2015/03/27 16:24:28

淀川を渡る