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開始日時 | 2015/06/13 06:48:39 | 終了日時 | 2015/06/13 11:25:39 |
水平距離 | 61.99km | 沿面距離 | 62.18km |
経過時間 | 4時間37分00秒 | 移動時間 | 3時間52分10秒 |
全体平均速度 | 13.47km/h | 移動平均速度 | 16.07km/h |
最高速度 | 45.81km/h | 昇降量合計 | 1361m |
総上昇量 | 703m | 総下降量 | 658m |
最高高度 | 173m | 最低高度 | -1m |
2015/06/13 06:50:22
十年ほど前に熊の街道を歩きで踏破した事があったが、久しぶりにチャリで走ってみた。
かつて熊野詣は京都から船で大坂へ下りこの辺りにあった渡辺の津から陸路をとって熊野へいたった。
現在は川の駅などがあってにぎわっている。
2015/06/13 06:49:05
かつてあった船着場に石碑がたっている。
2015/06/13 06:53:46
九十九王子の最初の王子社である窪津王子の後身があったとされている坐摩神社の行宮がある。
2015/06/13 07:01:13
南大江公園の周辺が2番目の王子である坂口王子に推定されている。
2015/06/13 07:07:29
谷町は戦災を避けた町家が割合残っている。
2015/06/13 07:15:05
上野王子はかつて上之宮神社にあったらしい。上之宮神社は現在大江神社に合祀されている。
現在はマンションに石碑を残すのみ。
2015/06/13 07:17:35
現在の久那の街道の道からハルカスが見える。
2015/06/13 07:21:18
創建は聖徳太子とされる、熊野御幸の際にも当然立ち寄った。
2015/06/13 07:22:39
第一王子社である窪津王子が祭られてある。なぜここにあるのかは解らない。
2015/06/13 07:33:55
大阪府内で旧地に残る唯一の王子社である阿倍王子神社。
町の暮らしにと溶け込んだ神社。
2015/06/13 07:44:47
ここも必ず弊拝したはずである。
2015/06/13 07:48:37
明治初年頃まで、津守廃寺の後身といわれる津守寺が当小学校の地にあったことから、当地が津守廃寺跡とされている。
2015/06/13 08:00:26
境王子(さかいおうじ)は、熊野街道沿いに設けられた九十九王子の一つ。窪津王子から数えて7番目にあたる。
2015/06/13 08:03:57
方位の神様 旅には欠かせないので、こちらも弊拝しただろう。
2015/06/13 08:41:46
和泉国一宮。大変古い神社。
2015/06/13 08:48:27
父鬼 伯方 岸和田 大阪 妙泉寺 などがわずかに残る古いど道標。ここが古い街道であることを示す。
大鳥居王子(おおとりいおうじ、大鳥王子とも)は、熊野街道沿いに設けられた九十九王子の一つ。街道の起点にある窪津王子から数えて8番目。
諸説あるが、この付近にあったとされる者もあるようだ。
2015/06/13 09:03:56
宅地の中にありきんぺん住人は迷惑している様子である。
2015/06/13 09:06:16
2015/06/13 09:16:11
井ノ口王子は九十九王子の11番目。大阪府和泉市井ノ口町の槙尾川のすぐ近く柳田橋の手前北の子安地蔵の横に石碑がたっている。
2015/06/13 09:19:16
泉州では熊の街道と云うより小栗街道の方が通りがよい。
2015/06/13 09:37:50
ため池沿いの街道脇に道しるべ地蔵がある。
すぐ かづらぎ 牛たき 大坂 左 きしはた
と刻まれいる。
池の端でフェンスが邪魔して進めないので、迂回した。
2015/06/13 10:10:29
佐野王子(さのおうじ)は九十九王子の17番目。1908年(明治41年)、春日神社(泉佐野市春日町)に合祀され廃絶する。
2015/06/13 10:24:38
塙団右衛門直之(通称団右衛門)は、大坂冬の陣が始まるや否や大坂側に馳せ参じた。大野治房の組下に加わり、「夜討ちの塙団右衛門」の勇名を轟かせている。しかし、夏の陣における樫井合戦で、戦功を焦った余りに一命を失うことになる。
この辺りは堅井の戦いの激戦地であったのです。
2015/06/13 10:25:30
樫井の町は古い街道風情井が残る。
2015/06/13 10:33:28
ゴルフ練習場(うちっぱー)の隣にあった。わかりずらい。
2015/06/13 10:50:53
行基開山の古刹。
街道には関係ないけどここから岡中への参詣道が雰囲気があって良い。
庭が美しい寺。
2015/06/13 10:59:01
大阪府指定の点検記念物。
昔からランドマークになっていたことでしょう。
2015/06/13 11:10:29
平安中期から鎌倉期にかけて熊野詣が盛んだったころ、琵琶法師もまた旅の一人として浪速から山中越街道にやってきました。
途中、雨山(現在の松風荘)山麓にさしかかり、険阻な桟道で突風にあおられた琵琶法師は、真っ逆さまに断崖から転落してしまいました。
彼の背にかけていた琵琶は、途中崖の木にひっかかり、琵琶の揺れに合わせていつも川の流れが法師の死を弔うかのように、「コロンコロン」と悲しげな琵琶に似たような音をしていると伝えられることから、この場所をこう呼ぶようになったそうです。
自転車では絶対通行不可なので、回り道しました。
2015/06/13 11:11:19
住宅街の中に標示板が設けられている。
2015/06/13 11:14:55
自然田から山中に通ずる道路側王子原に小祠があった。俗に山中の足神さんとして知られ、いつも大きな草鞋が社前に供えられていた。
2015/06/13 11:17:15
道は大坂最後の宿山中宿へ入る。
この先雄ノ山峠を越えて紀伊路へと至る。