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開始日時 | 2016/06/12 05:25:42 | 終了日時 | 2016/06/12 09:52:16 |
水平距離 | 61.58km | 沿面距離 | 61.87km |
経過時間 | 4時間26分34秒 | 移動時間 | 3時間34分17秒 |
全体平均速度 | 13.92km/h | 移動平均速度 | 17.32km/h |
最高速度 | 45.48km/h | 昇降量合計 | 1171m |
総上昇量 | 586m | 総下降量 | 585m |
最高高度 | 289m | 最低高度 | 6m |
2016/06/12 05:28:29
取あえず此処をスタート地点とした。
大阪市と堺市を結ぶ大和橋は、大和川の開削と共に宝永元年、紀州街道が川を渡るところに架けられた公儀橋であった。当時、大和川にはこの橋しかなく、旧暦6月末日に行われていた住吉大社の大祓の祭では一場の舞台となった。神遷しをした神輿をかつぎ数百人が持つ炬火の火は西宮を始め兵庫、明石から泉州海岸まで見ることができ人々はこの火を目印として神幸を拝したという。 これを「住吉の火替」といった。
幕府の手によって架けられた大和橋は洪水時に絶えず流失の危険にさらされながら大正5年、大阪府が鉄橋に架け換え、現在の橋は橋梁形式三径間連続の斜張橋で橋長192メートル、有効幅員9.5メートルとなった。 平成11年3月大阪市
2016/06/12 05:46:19
堺市へ入って取あえず長尾街道を東進した。
五つの旧街道の一つ、長尾街道は古代には大津道、江戸時代は大和街道ともいわれていました。起点の花田口を東へ進むと、ゆるやかな坂道の三国の坂があります。この地名はこの付近が摂津、河内、和泉の国境にあたることに起源をもつもので、さらに方違神社(ほうちがいじんじゃ)、新堀、蔵前を経て、長尾村(奈良県當麻町)に至り竹内街道と合流します。
出典:堺観光ガイド
2016/06/12 05:56:53
昔の長尾街道と交差する所で、今も松原市の繁華街である。ここはこの阿保茶屋跡の石碑や日露戦争の石碑も建っている小広場になっている。
阿保の地名は、在原業平の父親の阿保親王が住んでいたためといわれている。
2016/06/12 06:15:36
朝が早いのでまだ山門が閉まっていましたが、西門から散歩の人が『どんどん入っていました。
この寺は都市の生活に溶け込んでいます。
2016/06/12 06:47:27
河南町へ向かうのに竹之内街道を経由した。
整備された道を進む、云わずと知れた最古の菅道静かな住宅地を進む。
2016/06/12 07:20:35
竹之内街道から河南町へのバイパスを越えて平石の集落へ至る。
なかなかの勾配道路をエッチらおっちら進むと
かうきじ と刻まれた古い道標にであう。
この道を右にとると、悪名高い府道(腐道)704号線になる。http://map.cyclekikou.net/report.php?id=2311
此処を左にとりきつい勾配を上りきると高貴寺へと至る。
2016/06/12 07:20:35
天然石の道標には、
「右 やまとみち/左 かうきじみち」と刻まれていた。
これは「右は平石峠を越えると奈良県/左は高貴寺」と示している。
高貴寺縁起
文武年間、役行者が葛城行場の一つとして開基。その後、空海さんが三十二歳の
時この寺で安居、高貴徳王菩薩を感得しそのお像を刻し高貴寺と呼ぶようになっ
たそうです。この一帯の盛衰は、この地の宿命、南北朝争乱の兵火で山内壊滅、
寺運衰退のまま、江戸後期になり慈雲尊者の入山で寺景一変、往古の姿を再興し
たと伝え、今は真言律の修行道場として法灯を守っています。
2016/06/12 07:30:54
入り口の小さな駐車スペースからチャリを押して奥へと進む。
とにかく静かで、自分の立てる音以外が聞こえてこない・・・
梅雨の晴れ間の眼にいたいばかりの新緑の道をしずしずと進む。
2016/06/12 07:33:42
下乗の石彫りが有無を言わせない・・
今でもこの寺はメディアへの紹介等の広告宣伝は一切お断りで、境内には寝食・撮影禁止の手書きの札が貼ってあった。
2016/06/12 07:33:42
2016/06/12 07:36:16
山門いは小ぶりな梵鐘が下がっていた。
小さな立て札に 禁 写真飲食煙 としたためてあったけど気にしない。
(煩悩の塊ですけん)
修行の場らしく基本的には人には来てほしくないのでしょう。
2016/06/12 07:36:16
2016/06/12 07:36:16
高貴寺門前に えさをあげないでください 高貴寺 の立て札が???
2016/06/12 07:36:16
柵の中には ヤギが二匹 のんびりと草をはんでいました。
しかし ヤギなんかbなにするんやろ??(草狩用かな)
2016/06/12 07:46:27
田植えが済んだ棚田が美しい。
遠くにPLの搭なども見える。
2016/06/12 07:47:53
梅雨時でもあるので、アジサイが美しい。
2016/06/12 08:55:13
社伝によると、桜井神社は朝鮮半島の百済から渡来してきた桜井宿禰(さくらいすくね)の一族が、祖先を祀った事に始まるとされる。桜井氏は当地に須恵器(すえき)の技術をもたらし、それ故この周囲一帯は、かつて須恵器の一大産地であった。
2016/06/12 08:55:13
創建は推古5年(597)。祭神は誉田別命・足仲彦命・息長帯比売命で別名・上神谷八幡宮とも呼ばれた。
他の古社寺と同様、桜井神社も、戦国時代に兵火に遭い、多くの社が荒廃しました。そのなかで焼失をまぬかれたのが、現在、国宝に指定されている写真の拝殿。鎌倉時代に建造されたと考えられていますが、鎌倉時代に建造された神社建築のなかで現存するものはきわめて少なく、その点でも貴重な遺構である。
近辺住民が非常に大切にしてきた事でしょう。
2016/06/12 09:14:33
上神谷(かみにわ)街道沿いの古いおかげ灯篭。
今でもこの灯篭の前に新しい大峰講の碑があったりするので、この辺りの宗教的な中心地かもしれない。
2016/06/12 09:42:31
大道筋にある古い道標。
安泳六年(1777)丁酉(ひのととり、ていゆう)四月と刻む、
左 妙国ぢ 右 住よし大さか を指している。
3年 杉田玄白らが『解体新書』を刊行する。
8年 桜島で大噴火が発生(安永大噴火)。火山活動により153名が死亡、桜島北東沖に島(新島)が形成される。