終戦記念日に戦艦大和の御霊にお祀りポタリング。

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2016-08-15 06-17

プロフィールマップ

GPSログ解析

開始日時2016/08/15 06:19:38終了日時2016/08/15 13:49:07
水平距離97.97km沿面距離98.12km
経過時間7時間29分29秒移動時間6時間13分12秒
全体平均速度13.10km/h移動平均速度15.78km/h
最高速度41.41km/h昇降量合計1396m
総上昇量694m総下降量702m
最高高度288m最低高度4m

写真レポート

大道筋の道標

2016/08/15 06:29:24

大道筋の道標

ここからスタート
堺市のメインストリートにあたる大道筋にある大きく目立つ道標である、左 妙国ぢ 右 住よし 大さか

と刻む 安永6年丁酉4月 と刻むので、1777年謹製と言うことになる。
妙国寺には古い樹齢1000年とも云われる蘇鉄がある。
織田信長伝説があり江戸期には非常な人気があったそうだ。

現在でも国指定の天然記念物であったはずである。

東高野・竹之内、街道の分枝点

2016/08/15 06:39:17

東高野・竹之内、街道の分枝点

かつての市街域のはずれに、東高野・竹之内、街道の分枝点がある。

分枝点の50メーター手前には高野山女人堂までの距離を示す丁石が地蔵堂と共に現存している。

金岡神社

2016/08/15 06:49:42

金岡神社

仁和年間(885年 - 889年)に底筒男命、中筒男命、表筒男命を祀ったことにより創建されたと伝えられている。ここには頭正院という神宮寺があったが神仏分離令により廃寺となっている。その後、近隣の神社が合祀され現在に至る。5月3日に画神祭、10月10日に大祭がある。

住吉神社と同じ神さんを祭る、竹内街道沿いにあり、往古に存在した難波大道の南端に存在しているという説もある。

個人的には さもありなん 

大神宮灯篭

2016/08/15 07:14:58

大神宮灯篭

野中寺の近くにある竹之内街道沿いに、江戸期の大神宮灯篭と道標がある。

この道がお伊勢詣で利用された事の左証となる。

竹之内峠

2016/08/15 08:11:41

竹之内峠

大阪府太子町と奈良県葛城市を結ぶ車はやや多めで大型車も多いので注意。

奈良県側は旧道が残っていて其処を歩くなり走るなりできるが、大阪府側は歩道が途中 切れていて徒歩で後ずれる人は非常に危ない、工事をしているのは解るけど早く予算をつけて歩道を完備しないと最古の官道が泣くよ。

後半の勾配は10%くらいあって心臓がばくばくする。

竹之内の集落

2016/08/15 08:16:08

竹之内の集落

峠をご機嫌に下ると国道を外れる形で、竹之内の集落が現れる。

大和棟の情緒ある農家や商家が軒を連ね、竹の内街道の道中では太子町と此処が最も街道風情が残っている区間である。

竹之内の集落からは、はるか大和三山や宇陀・大和高原の山並みが見える。

長尾神社

2016/08/15 08:21:14

長尾神社

竹之内の集落を下ると長尾神社の社稷の森が現れる。
その昔、三輪山を何重にも取り巻く大蛇がいたことから、蛇の頭を大神神社、尾っぽが長尾神社に相当すると伝えられます。

横大路

2016/08/15 08:46:20

横大路

関連リンク

横大路と呼ばれる道は、桜井市の三輪山の南から葛城市の二上山付近まで東西にほぼまっすぐに設置された道である。
難波京と飛鳥京を結ぶ官道のひとつとして整備された別名として、伊勢街道とも呼ばれる。
現在の国道166号線の一部区間そのもの、および国道に平行している。東側では伊勢国への伊勢街道および初瀬街道に、西側では和泉国に至る竹内街道および長尾街道に接続する。
ウィキペディア

伊勢街道の名にふさわしく大きな大神宮灯篭があった。

大和八木の旅籠跡

2016/08/15 08:54:24

大和八木の旅籠跡

横大路と下ツ道が交わり、伊勢参りや大峰山参詣で賑わった橿原市八木町の八木札の辻。

その角に建つ旧旅籠は、『八木札の辻交流館』として無料公開されています。

以前に入った事がありますが、非常にいい雰囲気で調度なども凝った作りでした、案内してくれた人の説明によると・・江戸時代の高級旅館・・だそうです。

三輪神社西南隅の礎石

2016/08/15 09:03:14

三輪神社西南隅の礎石

ここは中つ道と横大路の交差した場所に当たる。現在の定説では、藤原京域の北東角に位置する。この礎石は、直径140cm、厚み40cmの花崗岩製で、藤原京内の寺院のものを持ち出したか、あるいは「大和旧跡幽考」のいう、面堂の遺構か詳らかにしない。

掲示板

三輪神社西南隅の礎石

2016/08/15 09:04:45

三輪神社西南隅の礎石

この場所は現在の定説では、藤原京域の北東角に位置する。
 この礎石は(写真下)、直径140cm、円座直径110cm、厚み40cmの花崗岩製で、
藤原京内の寺院のものを持ち出したかもしれないとされる、地蔵堂の後ろの水路の中に掘り出されたように礎石があった。

箸墓

2016/08/15 09:44:28

箸墓

前方後円墳の中では最古式の1つ。邪馬台国の女王「卑弥呼」の墓ではないかとも考えられている。

こんなクラスの遺蹟がごろごろ出てくるのがさすが奈良 です。

長岳寺の五智堂

2016/08/15 09:52:33

長岳寺の五智堂

その形から傘堂あるいは眞面堂とも呼ばれます。
真ん中に太い心柱がありこれによって建物のほとんどの重量が支えられています。
心柱上部に四佛の梵字額があり全体で五智如来をあらわしています。

そばには猿田彦の神が祀られていたので、旅立ちや出立に関わる場所であったろう。

大和神社

2016/08/15 10:11:38

大和神社

日本の国の土地を司る神とされ、宮中内に天照大神と共に奉斎されていました。第10代崇神天皇6年に皇女淳名城入姫(ぬなきいりひめ)によって当地に移されたのが大和神社の創建とされます。
2,000年余り前に創建された大変歴史のある神社として知られます。

またこの神社は、「戦艦大和」の艦内に大和神社の御祭神大國魂大神が分祀されていた関係から昭和28年に「戦艦大和」と運命を共にした英霊2,736柱の分霊が合祀たそうです。

訪問日はぱらぱらと参拝する人がいました、私は戦没者へ詣りました。

大和神社

2016/08/15 10:09:03

大和神社

昭和20年4月7日、沖縄に向かう途中の鹿児島県枕崎市沖でアメリカ軍の攻撃を受けて沈没し、3332人の乗組員のうち3056人が散華しました。

戦後71年目の終戦記念日にイベントらしき事はありませんでしたが、毎年4月7日には2,736柱の慰霊祭が行われている。

明治期の日本海海戦での成功事例である巨艦大砲主義に固執した結果、一発の砲弾を撃つことも無く大和は暗い海に沈んだ。

人柱にされたような乗員たちは残念だったろうな・・

太子道

2016/08/15 10:37:22

太子道

万葉の時代に、聖徳太子が「斑鳩の里」から「三宅の原」を経て、「飛鳥の宮」とを往来された道が「太子道」です。

路沿いには古い集落が多くある。

屏風杵築神社

2016/08/15 10:41:10

屏風杵築神社

この神社の祭神は須佐男命で出雲大社(杵築大社)系の神社である。

拝殿に、奉納されている「おかげ踊り」をする絵馬は、民俗学的資料として貴重であり、県の有形民俗文化財の指定を受けている。

おかげ詣絵馬

2016/08/15 10:41:10

おかげ詣絵馬

拝殿にかけられている「伊勢太神宮へのおかげまいり」の絵馬は、太神宮の旗を立て、40人ほどの人たちが三味線などにあわせて踊り行く姿が描かれている。

おかげまいりは、とくに徳川時代に盛んに行われたもので、慶安・安永・明和・文政・慶応など、ほぼ六十年目に熱狂的に踊りながら伊勢参りをするもので幕末期は非常にはやった。

現在のグループでダンスをする感じににた絵であった、皆非常に楽しそうな感じがする。

法隆寺

2016/08/15 11:22:09

法隆寺

南大門前です。

すごい数の観光客がきていました。此処から奈良街道龍田越街道に進む。

龍田神社 斑鳩

2016/08/15 11:31:56

龍田神社 斑鳩

崇神天皇の時代(紀元前1世紀頃?)に創建された古社であり、後に聖徳太子が法隆寺を創建する際の鎮守として現在地に遷座された神社であるとされています。

元々の社名は「龍田比古龍田比女神社」であり、当時は その名の通り、龍田比古神・龍田比女神の二神(龍田大明神)を祀っていたとされますが、明治時代の神仏分離により法隆寺から離れ、三郷町立野の龍田大社の摂社となったんだそうです。

往時は街道の分枝点に辺り旅籠や商店が多くあり非常な賑わいがあったらしい。

斑鳩の造り酒屋

2016/08/15 11:38:17

斑鳩の造り酒屋

江戸時代後期に建てられた建物は、平成13年4月に登録有形文化財の指定を受けています。
太田酒造株式会社は歴史のある蔵元で、地酒以外に奈良漬も有名です銘柄は初時雨のみ、前をとおるとかすかな日本酒の香りがした。

龍田大社

2016/08/15 11:55:07

龍田大社

龍田大社(たつたたいしゃ)は、奈良県生駒郡三郷町立野南にある神社。式内社(名神大社)、二十二社(中七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
旧称は「龍田神社」。風の神(風神)として古くから信仰を集める。

ウィキペディア

地蔵堂

2016/08/15 12:07:42

地蔵堂

大阪府柏原市峠にある「地蔵堂(じぞうどう)」です。「延命地蔵」との名もあるようです。

このあたりは地すべり地帯で開発がされていなくて、昔の街道の面影がしっかり残っている。
人通りも車の通行もほとんど無くてかつての街道の雰囲気を味わいたい人には特にお勧めできるが、エスケープできないので、事前準備はしっかりと。

川端橋

2016/08/15 12:23:03

川端橋

歩行者専用である。自転車の通行もできるが青少年運動広場側は階段とスロープになっている。一度に通行できる人員が15名にまで制限されており、揺らさないようにとの注意書きがされている。

かつては明治初期に大和川南岸に新しい街道(現・国道25号)が整備されるまではここで渡し船で対岸に渡り、亀の瀬経由で奈良方面に通じていた。

奈良街道・長尾街道分枝点

2016/08/15 12:31:51

奈良街道・長尾街道分枝点

ここで奈良街道龍田越街道と長尾街道が分かれている。
住宅の鼻先に道標と掲示板がある。

藤井寺の長尾街道道標

2016/08/15 12:53:29

藤井寺の長尾街道道標

元禄14年(1701)の「右ハ ふじい寺 かうや よしの はせミち」「左ハ なら かふり山ミち」と刻まれた道標が立っている。この道標はこの地から西へ200mほどの場所に建っていたものを、ここへ移設したと説明される。

大阪府内でも古い部類の道標で貴重だそうだ。

大道筋の道標

2016/08/15 13:37:16

大道筋の道標

最後に振り出しに戻る。