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開始日時 | 2018/03/31 06:50:02 | 終了日時 | 2018/03/31 10:56:32 |
水平距離 | 53.29km | 沿面距離 | 53.65km |
経過時間 | 4時間06分30秒 | 移動時間 | 3時間21分11秒 |
全体平均速度 | 13.06km/h | 移動平均速度 | 15.84km/h |
最高速度 | 39.90km/h | 昇降量合計 | 797m |
総上昇量 | 396m | 総下降量 | 401m |
最高高度 | 160m | 最低高度 | 1m |
2018/03/31 06:42:28
2018/03/31 06:51:12
2018/03/31 07:01:57
2018/03/31 07:05:34
泉佐野市日根野にあります。
総福寺の創建は不明ですが鎌倉時代の「日根荘日根野村絵図」の禅林寺の場所に推定されています。
境内社の天満宮社殿は一間社春日造り檜皮葺の小社ですが、様式手法ともに桃山時代の特徴をよくとどめており、国の重要文化財に指定されています。
2018/03/31 07:08:55
2018/03/31 07:11:11
2018/03/31 07:11:11
3間2層、全高10メートル余。我が国最小の塔と知られ、その優美、典雅の趣は他に比類がない。石山寺・高野山金剛三昧院のものと共に、日本3名塔と称されています。
江戸時代まで日根神社の神宮寺で、大井関神社の中の坊と呼ばれた慈眼院。
九条政基の時代には日根野神社内の日根野村の政所がありました。
2018/03/31 07:16:20
和泉山脈に降った雨水が泉佐野市の平野に流れ込む樫井川から水を引き、新しい井堰と水路をつくって大規模に樫井川流域の開発をすすめたのが日根野の始まりなのですが、その井川が日根神社の境内を流れています。
土丸(つちまる)の取水口から日根神社と慈眼院の境内の中を流れ、十二谷池まで延長約2.75kmを高度差約3mで流れるようにつくられています。現在も日根野地区の主要な水路で広範囲を灌漑しています。
2018/03/31 07:27:38
この住宅は江戸時代の農家で、当時の泉南地域の建築様式の特徴をよく残す建物です。
関西空港自動車道の建設工事により、泉佐野市上之郷机場(かみのごうつくえば)から土丸(つちまる)へ移築することとなり、平成3~5年に復元修理工事を実施しました。工事は後に増築された部分をすべて取り去り、可能なかぎり当初の古材(こざい)や工法を利用してもとの形に復元しました。 当時の建物と生活様式を後世に伝える貴重な遺構(いこう)として平成5年に泉佐野市指定文化財となりました。
2018/03/31 07:34:55
2018/03/31 07:37:14
九条政基在荘時は、入山田村(いりやまだむら)四か村(舟淵(ふなぶち)・菖蒲(しょうぶ)・大木(おおぎ)・槌丸(つちまる))全体の神社で、滝大明神(たきだいみょうじん)、滝宮(たきのみや)と呼ばれました。政基が筆写した「犬鳴山七宝滝寺縁起(いぬなきさんしっぽうりゅうじえんぎ)」には、七宝滝寺との関連も記され、『政基公旅引付』には、滝宮を舞台とした記事も多く見られます。入山田という名称は現在ほとんど使われていませんが、江戸時代につくられた湯釜や灯籠の銘文に「入山田荘(いりやまだのしょう)」とあり、四か村のまとまりを示す地名として伝えられていました。
2018/03/31 07:45:02
2018/03/31 07:48:26
2018/03/31 07:55:39
山々によって囲まれた大木地区では荘園時代に由来を持つ地名や用水が現在にまで継承されており、また19世紀後半に描かれた『大木村絵図』などと比較しても土地利用の形態が大きく変化していないことが分かる。中世荘園にルーツを持ちつつ、近代から現代にかけて緩やかに進化してきた農村景観として、2013年国の重要文化的景観に選定された。
2018/03/31 07:59:14
和歌山へ抜ける粉河街道、さらに貝塚市から犬鳴山への参道としての水間道が通っています。この2本の街道が交わる辺りに古民家が多く見られます。
2018/03/31 08:08:03
長福寺とは日根荘の領主、九条政基が1501~1504年の間直接支配するために滞在したお寺です。その様子は、政基の記した日記『政基公旅引付』に記されています。しかし、1611年の資料を最後にその名は確認することができず、これまで字チョークジと呼ばれる場所が、その所在地として考えられてきました。
農地改良の計画にともない、平成14、15年度に発掘調査を実施したところ、大量の瓦や建物跡・園池・井戸など寺院跡が確認され、長福寺の場所が明らかになりました。長福寺跡は平成17年7月に日根荘遺跡に追加指定されています。
2018/03/31 08:12:50
2018/03/31 08:31:09
平成21年度から泉佐野市教育委員会と熊取町教育委員会が合同で文化財調査に着手しました。雨山と土丸山(城ノ山(じょのやま))の2つの山頂付近に、南北朝期から戦国期(1300~1600年頃)にかけての曲輪(くるわ)、武者隠し(むしゃかくし)、堀切(ほりきり)など城郭に関わる当時のさまざまな遺構が確認され、これらが一つの山城として機能したことがわかりました。『政基公旅引付』にも戦乱から逃れようと山にこもったとの記録も残っており、さらに古くから信仰の山としても地域に愛されて続けています。
2018/03/31 08:34:33
2018/03/31 08:50:22
水間寺は龍谷山と号し、天台宗別格本山で聖観世音菩薩を本尊とする。水間の寺号は、蕎原川と秬谷川の合流地点に位置することによる。天平年間(729年から749年)聖武天皇の勅願により厄難消除の為に行基が建立したといわれるもので、中世には多くの宿坊があったことが確認されている。豊臣秀吉の兵火にあい、その後岸和田藩主岡部氏によって再建されたものが現在の堂塔である。広い敷地に多くの歴史的建築物が存在し、周辺建物と作る歴史的まちなみは非常に奥深い景色である。年末年始には、多くの参拝者で賑わう。作家今東光氏が、この寺の住職であったことは有名である。
貝塚市HP転記
2018/03/31 09:01:58
此のお寺は厄除けで有名ですが、桜の名所でもある。
2018/03/31 09:13:38
貝塚から水間へいたる街道は古い家並が残る道である。
2018/03/31 09:27:26
津田川の岸見橋(古くは往来橋)北詰付近は、岸和田藩の津田川斬首刑場跡で、岸見北詰浜側に松の樹と並び、岡部氏に強訴し、斬首の刑に処された人の墓碑があった。
碑は死後160余年を経て、同刑場に有志によって建てられたもので、その後1899(明治32)年に円教寺(日蓮宗、五軒屋町)の境内に移したとある。
桜は義民の魂を鎮めるかのごとく咲き誇っている。
2018/03/31 09:31:09
2018/03/31 09:34:35
2018/03/31 10:18:11
2018/03/31 10:27:03
2018/03/31 10:32:13
2018/03/31 10:39:03
1550年堺に来たイエズス会宣教師フランシスコ・ザビエル。手厚くもてなした豪商日比屋了慶の屋敷跡につくられ、来航400年を記念してザビエル公園と命名されました。
2018/03/31 10:47:40
2018/03/31 10:48:18