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開始日時 | 2018/07/01 05:55:18 | 終了日時 | 2018/07/01 12:37:44 |
水平距離 | 96.67km | 沿面距離 | 96.68km |
経過時間 | 6時間42分26秒 | 移動時間 | 5時間44分52秒 |
全体平均速度 | 14.41km/h | 移動平均速度 | 16.68km/h |
最高速度 | 32.34km/h | 昇降量合計 | 516m |
総上昇量 | 251m | 総下降量 | 265m |
最高高度 | 97m | 最低高度 | 13m |
2018/07/01 05:59:20
2018/07/01 06:03:31
2018/07/01 06:28:23
2018/07/01 06:33:26
大阪府で二番目に古い道標
2018/07/01 06:40:01
2018/07/01 06:50:22
2018/07/01 07:00:11
2018/07/01 07:31:12
2018/07/01 07:40:40
2018/07/01 07:55:15
通称「西宮のえべっさん」、全国に3500社ある「えびす神社」の総本社。
表大門(通称赤門)は、豊臣秀頼の寄進と伝わり、桃山建築の遺構をのこし、その左右に連なる大練塀(おおねりべい)と共に、重要文化財に指定されている。
2018/07/01 08:03:19
(北面)
官幣大社廣田神社 是より
十四(丁)
(南面)
明治三十一年六月
2018/07/01 08:14:11
厄神道標
この道標は、むかし西国街道と有馬街道といったふたつの旧道の分かれ道に建てられている。道標をよ注意してみると四面の刻字のうち指向手形の下の字体と他の三面の字体が異なっている。道標には文久二年再建と刻字されていいることから、指向手形のある
日本三躰厄神明王と刻字されていた道標を何かの理由で文久二年に再建されたと考えられる。従って、この道標自身は古くおそらく江戸中期のものと思われる。
甲東文化財保存会
2018/07/01 08:18:04
2018/07/01 08:32:42
地蔵型の道標
左 妙見 中 と彫られている。 中は中山寺 妙見は能勢妙見でしょう。
2018/07/01 08:40:28
稲野小学校校門前ほぼ東西の西国街道にある道標。
東面 すぐ 西之宮
南面 すぐ 中山 小濱
とある。
2018/07/01 08:45:10
伊丹市大鹿3丁目西国街道(東西)と有馬道の四辻の北東部にある。
2018/07/01 09:06:23
南面 すぐ 大坂 京 左いけだ
西面 右 西宮 左 大坂
東面 右妙見 すぐ 西宮
北面 天宝三年○ 九月
2018/07/01 09:18:50
牧落の旧札場と道標
本地は、もと牧落村の高札場(掲示場)である。幕府や領主からだされた命令・規制の御触れを書いた木札・貼紙をここに掲示して、村民の・諸人へ知らしめた。この地は箕面・大坂道と西国街道の交わる四ツ辻にあたるので、行路の目明日となる道標2基が今も建っており、次のような道しるべが刻まれている。
大阪 四り半
大 天神 道
はっとり 二 り
小 みのをみち
箕面市教育委員会
2018/07/01 09:35:09
東西の西国街道と勝尾寺への参詣道大鳥居前の道標と町石
2018/07/01 09:39:47
西国街道が北東方向に進む三叉路の東部にある龍王堂の前にある。
2018/07/01 09:48:40
西国街道から北に分岐する逆T字路の南にある宿川原西自治会館の門前に北を正面に二基が建ち、門内に更に二基がある。
2018/07/01 09:51:05
2018/07/01 09:52:25
椿の本陣すぐ東に大小3個の道標がある。
2018/07/01 09:57:18
昭和五十七年に再建された、明治三十年の道標亀岡街道との交差点にある。
2018/07/01 10:19:20
大坂の文字ではなく 大阪 とあるので明治期のものだろう。
2018/07/01 10:24:51
2018/07/01 10:34:58
2018/07/01 10:39:45
小路道標(江戸時代) 吹田市岸部北二ー六
この一石五輪塔(いっせきごりんとう)道標は、亀岡街道から佐井寺観
音参詣道が分岐するところにたてられています。
佐井寺観音信仰が盛んになった江戸時代中ごろこの道は、天道から佐井寺に通じる参詣道とともに、多くの善男男女に利用されました。
さい寺
(道標の図)(梵字で)キャ(十一面観世音菩薩)
是ヨリ十二丁
五輪は全宇宙の構成を表す。密教で…功徳(くどく)…満たすとして、平安時代中ごろから供養塔(くようとう)として用いられ、室町時代の頃から一つの石でつくられたものも現われました。この形の道標は吹田市内唯一です。
昭和六十一年三月 吹田市教育委員会
2018/07/01 11:00:39
六地蔵道標(江戸時代) 吹田市南高浜町三の宮
この道標は、亀岡街道から片山村へ通じる道が分岐するところにたてられていました。
刻字にある帝釈寺は、江戸時代のはじめごろからのお寺ですが、明治十一年に神崎川のつけかえ工事があり、高浜橋が架けられると、この道標から南の亀岡街道は高浜神社前から高浜橋を渡って大阪へ通じる道にかわりました。そのため、この道標は「右 大坂道」と「左 茨木 冨田…」の字が補刻され、再利用されたようです。
昭和六十二年三月 吹田市教育委員会
2018/07/01 11:06:18
吹田の渡しは、現在の高浜橋の少し上流から対岸の上新庄町あたりにかけて渡ったと考えられています。この渡しは幅102間(186m)、摂津名所図会(1798年)にも滑稽な感じの絵図が添えてある。
2018/07/01 11:18:23
正面の旧家は一柳家といって、中島大水道の開削で幕府に自害をもって抗議した三庄屋の一人です。
「(指差し右)厄除安産正観世音 瑞光寺道 同江口道」「(指差し左)吹田富田茨木道」「すぐ大坂道」
一柳家の土塀と道標(天保七(1836)年)
2018/07/01 11:19:43
2018/07/01 11:33:39
2018/07/01 11:47:37
道路元標とは、道路の路線の起点や終点や経過地を表示するための標識をいい、明治期に設置されたものについては、里程元標(りていげんぴょう)と呼ばれているが、江戸時代にはこの高齢橋の西詰に高札場があった。
2018/07/01 11:59:34
登頂に東西南北を刻む立派な道標
熊野街道はこの筋から二つ西となっているのですが、移動したものか?本来の街道がこの筋なのかはわからない。
2018/07/01 12:29:31
住吉大社の摂社浅澤社古くはこの付近は池沼も多く、杜若かきつばたの名所として万葉集にも詠まれた。平成九年(1997)には、往時を偲ばせる「杜若かきつばた園」が復活してシーズンは綺麗な花が咲いている。
大きな常夜灯が「ありランドマークとなっていたでしょう。