浪花百景(貞信)をライドル

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現在の軌跡: 04 08 2019 06:16

プロフィールマップ

GPSログ解析

開始日時2019/08/04 06:16:38終了日時2019/08/04 10:35:39
水平距離45.62km沿面距離45.62km
経過時間4時間19分05秒移動時間3時間25分13秒
全体平均速度10.57km/h移動平均速度13.22km/h
最高速度40.84km/h昇降量合計156m
総上昇量78m総下降量78m
最高高度22m最低高度-1m

レポート概要

江戸時代後期から明治初期にかけて、大阪を中心に数多くの上方浮世絵師が活躍し、役者絵や風景版画にその業績を遺しました。また、江戸で活躍する浮世絵師も、商都浪花の繁栄ぶりや名所・旧跡に心を寄せ、様々な風景版画を描きました。

その中の一つに、浪花百景がその量と質に於いて抜きんでた作品である。
(なにわひゃっけい)は、100枚の風景錦絵と2枚の目録からなる上方浮世絵木版画の組み物[1]。3名の絵師、國員・芳滝・芳雪による合作で、幕末に大坂の版元「石和」より刊行された。浪華百景[2]、浪花名所百景[3]とも云われる。

今現在浪花百景で描かれた場所がどうなってるのか?訪ねてみた。

枚数が多いので5-6回に分けて尋ねる計画である。

写真レポート

浪花百景の内 四天王寺東門

2019/08/04 06:51:26

浪花百景の内 四天王寺東門

浪華百景の内「四天王寺東門」貞信(画)です。

号は荒陵山、敬田院と称す。難波寺、難波大寺、御津寺などともいう。創建は聖徳太子。金堂、講堂、五重塔を備えた大寺で、年中参詣者は絶えない。特に4月の涅槃精霊会、春と秋の彼岸会、8月の千日詣は雲霞の如く参拝者が押し寄せる

浪花百景の内 四天王寺東門

2019/08/04 06:52:06

浪花百景の内 四天王寺東門

浪花百景の内 鶴満寺

2019/08/04 07:14:20

浪花百景の内 鶴満寺

奈良時代の創建といわれ、宝暦(ほうれき)3年(1753)当地に移った。境内は桜の名所であったが、明治18年淀川の氾濫で枯死した。当寺の釣鐘は太平10年(中国年号、1030)在銘の朝鮮銅鐘である。高麗時代初期の名品で重要文化財の指定をうけている。日本に渡来の経緯は不明であるが、毛利藩の土木工事中に山口県で発見され、鶴満寺に寄進された。このほか当寺には、鎌倉時代末の作という千手観音画像がある(大阪府有形文化財)。

浪花百景の内 鶴満寺

2019/08/04 07:34:24

浪花百景の内 鶴満寺

浪花百景の中 五百羅漢

2019/08/04 07:31:47

浪花百景の中 五百羅漢

江戸時代後期から明治時代初期に大坂で活躍した長谷川貞信は、『妙徳寺ハ上福島に在りて 世に五百羅漢と云 寺中に五百羅漢を安置し 此仏像何も古作にして近世彩色および 堂舎の修覆なりて
荘厳 もっとも峨々たり

門前の両側は遊所ありて 是を羅漢前という 此の辺浪花北西の端にて田園風景よし』と記しています。

浪花百景の中 五百羅漢

2019/08/04 07:58:46

浪花百景の中 五百羅漢

福島の五百羅漢として知られ、多くの名所案内に記された妙徳寺は、明治42年(1909)の「北の大火(天満焼)」で全山焼失後再建されたのですが、大正末期から昭和初期にかけての都市計画に伴って昭和2年に東大阪市額田に移転してゆきました。

浪花百景の内 北新地梅之橋白雨

2019/08/04 07:55:55

浪花百景の内 北新地梅之橋白雨

初代 長谷川貞信(さだのぶ)(1809-1879) 号は緑一斎 作

雨の中慌てている人々を描写している。当時はあった蜆川へ流れ込む小橋が印象的な浮世絵。


曽根崎川(そねざきがわ)は、大阪府大阪市北区・福島区にかつて存在した河川である。別名は蜆川(しじみがわ)。

浪花百景の内 北新地梅之橋白雨

2019/08/04 08:10:41

浪花百景の内 北新地梅之橋白雨

浪花百景の内 中の嶋蛸の松

2019/08/04 07:59:07

浪花百景の内 中の嶋蛸の松

中之島の久留米御蔵屋敷の浜にあった松。大樹老松で枝葉が四方に伸びてまるでタコの様子だったので名付けられた。『浪華の賑ひ』には月の夕べ、雪の朝には川面に写る松の姿が「雅俗きそひてこれを賞す」とある。木は明治10年(1877)頃に切り倒されたという。

浪花百景の内 中の嶋蛸の松

2019/08/04 08:25:10

浪花百景の内 中の嶋蛸の松

浪花百景の内 合羽嶋より東を望む

2019/08/04 08:08:13

浪花百景の内 合羽嶋より東を望む

堂島は蜆川と堂島川に挟まれた一帯をいい、貞享2年(1685)河村瑞賢の両川改修後に開発され、天満舟を造る舟大工が多く住み、舟小屋ができ発展していった。堂島には米市場が開かれ、享保15年(1730)に米相場会所がつくられ、また諸藩の蔵屋敷も多く立地し商業の中心地となっていった。  蜆川は今の北新地の中心部を流れていた川で、曽根崎川とも称した。堂島川から分流し、安治川に注いでいた。明治42年(1909)7月の大火の際、瓦礫によって上流部が埋め立てられ、現在は碑を残すのみとなった。  玉江橋は堂島川に架かる橋。川幅が広く、両岸が諸大名の蔵屋敷というところに美しい太鼓橋が架かっており「風景絶唱」と称えられた。

浪花百景の内 合羽嶋より東を望む

2019/08/04 08:35:43

浪花百景の内 合羽嶋より東を望む

浪花百景の内 天満宮御旅所

2019/08/04 08:11:18

浪花百景の内 天満宮御旅所

かつて、天神祭の船渡御は、神輿が難波橋から船に乗り楽を奏して川を下って御旅所まで往復していた。天満宮の御旅所は延宝年間頃に雑喉場からこの戎島に移転している。  天神祭の日は屋形船に御迎人形を飾り、太鼓、三味線、笛などのお囃子が華麗で、この光景をひと目見ようと多くの人たちが押し寄せてきたという。  明治以後に御旅所は松島に移転した。

浪花百景の内 天満宮御旅所

2019/08/04 08:42:46

浪花百景の内 天満宮御旅所

浪花百景の内 四つばし

2019/08/04 08:17:45

浪花百景の内 四つばし

四ツ橋は南北に延びる西横堀川と東西に延びる長堀川が交差するところにロ字状に架けられていた四つの橋、すなわち北側の上繋橋、南側の下繋橋、西側の吉野屋橋、東側の炭屋橋を総称していう。架橋年代は定かではないが、元和8年(1622)長堀川開削ののち数年後といわれる。  銅吹屋(銅製錬所)が近いこともあり辺りには炭屋が多かった。江戸期には納涼や観月、または市街の景勝地として親しまれ、名物であった煙管屋が軒を並べた。

浪花百景の内 四つばし

2019/08/04 08:54:47

浪花百景の内 四つばし

浪花百景の内 三津八幡宮

2019/08/04 08:22:21

浪花百景の内 三津八幡宮

祭神は応神天皇。文禄年間(1592~1595)に一切を焼失し、古くからのことはわかっていない。  社伝によれば天平勝宝元年(749)11月、京に行きたいとの八幡大神の神託があり、孝謙天皇は勅使を筑紫の宇佐八幡宮に出し、神霊を京に遷座する途中初めて海から上陸したところが御津だったので、その行宮を元に建立した神社だという。牧村史陽氏はそれより2、3年前、聖武天皇が東大寺建立発願の折、宇佐八幡宮の分霊を鎮護のため勧請した最初の上陸地点との説を述べている。  辺りには調具屋が軒を連ね、また色町も近く芸者や役者、商人の信仰も厚かった。

浪花百景の内 三津八幡宮

2019/08/04 09:01:44

浪花百景の内 三津八幡宮

浪花百景の内 自安寺妙見宮朝参の図

2019/08/04 08:26:44

浪花百景の内 自安寺妙見宮朝参の図

日蓮宗。本尊は北辰尊星で、能勢の妙見堂と同体。芝居町に近いこともあり、四六時中題目を唱え百度詣する参詣者は絶えなかったという。この寺の南に位置した墓所は刑場と火葬場を持っており、明治3年(1870)の刑場の廃止と墓所、火葬場の移転後は千日前歓楽街となった。寺は昭和42年(1967)に現在の場所に移転した。

浪花百景の内 自安寺妙見宮朝参の図

2019/08/04 09:08:57

浪花百景の内 自安寺妙見宮朝参の図

浪花百景の内 長町毘沙門堂

2019/08/04 08:33:09

浪花百景の内 長町毘沙門堂

日本橋3~5丁目の堺筋沿いをさす。名前については、古来辺りは海辺で名呉の浜などと呼ばれ名呉(名護)町と称していたがのち長町に転訛したという説、日本橋から南へ伸びる狭長な町並みに由来するという説がある。  長町筋の左右には旅籠屋・木賃宿が建ち並び、なかには『東海道中膝栗毛』にも登場する分銅河内屋・ひょうたん河内屋など名高い宿もあり、また傘職人も軒を並べ、浪花の名物と評され大変な賑いであったという。

浪花百景の内 長町毘沙門堂

2019/08/04 09:18:36

浪花百景の内 長町毘沙門堂

浪花百景の内 なんばむら御蔵

2019/08/04 08:40:16

浪花百景の内 なんばむら御蔵

享保17年(1732)に幕府が年貢米の集散と災害時の救援米貯蔵の役割を兼ねて、旧大阪球場付近に設けたものである。8棟に分かれ大きさはほぼ大阪球場と同じほどあり大規模なものであった。当時西日本ではいなごの害がひどく米価が高騰し、失業者も増えたため救民の目的もあった。安政の大地震の時にはこの蔵から1万石を放出したという。

浪花百景の内 なんばむら御蔵

2019/08/04 09:23:52

浪花百景の内 なんばむら御蔵

浪花百景の中 広田社雪景

2019/08/04 08:52:28

浪花百景の中 広田社雪景

祭神は天照大神。創建年代は不明。今宮戎神社の北に位置し、古くから四天王寺の鎮守として知られた。  地元の木津は古くから漁師町として栄え、漁師の信仰が厚かった。境内には桜や萩が多く、大変見事であったという。この辺りは以前うっそうとした松林に囲まれており、広田の森、蛭子の松原と呼ばれていた。

浪花百景の中 広田社雪景

2019/08/04 09:29:03

浪花百景の中 広田社雪景

浪花百景の内 安井天神

2019/08/04 08:58:41

浪花百景の内 安井天神

社伝によると、昌泰4年(901)菅原道真大宰府左遷の折、河内の道明寺に向かう途中に四天王寺を参拝した際、この辺りで休息したとされたため、道真没後約40年に当たる天慶5年(942)この地に招魂することとなり、道真が安らいだことに因んで安居天神社と定めたといわれる。また別に、四天王寺の僧が夏安居(げあんご)を修業する安居院(あんごいん)がここにあったことに名前の由来があるともいわれている。  天王寺七名泉の一つ「安井」もほど近く、境内は天神森や安井森などと呼ばれた景勝地で、特に桜の季節には花見客で賑った。また真田幸村が最後を遂げた地としても知られ、大坂の陣でひどく廃朽したのを、松屋呉服店(大丸の前身)店主下村彦右衛門が寛延3年(1750)修復に乗り出し、営繕し拡張を行った。

浪花百景の内 安井天神

2019/08/04 09:36:17

浪花百景の内 安井天神

浪花百景の内 雲水邦福寺

2019/08/04 09:06:36

浪花百景の内 雲水邦福寺

昭和45年(1970)統国寺と改称、釈迦を本尊とし、仏殿・楼門など諸堂全てが中国風に造られた黄檗宗万福寺末寺で、以前は和気山邦福寺と称した。  寺伝によると開創は聖徳太子によるもので、不思議山深妙院念仏寺と称した法相宗であったが、宝永6年(1709)法源和尚が師の黄檗四世獨湛上人を開祖に再興、近くの和気清麻呂が開いた和気堀に因んで和気山の山号をつけたと伝える。以後は多くの雲水(諸国行脚の修行僧)がここで修行したため雲水寺あるいは雲水庵とも呼ばれた。方丈座敷からの眺望は素晴らしく、また境内で出された普茶料理も名物となり、来観者が絶えなかったという。

浪花百景の内 雲水邦福寺

2019/08/04 09:47:27

浪花百景の内 雲水邦福寺

浪花百景之内 住よし反橋

2019/08/04 09:09:24

浪花百景之内 住よし反橋

祭神は一の神殿は底筒男命、二の神殿は中筒男命、三の神殿は表男筒命、四の神殿は神功皇后。摂社、末社、名所旧跡が多い。大小の祭祀は年に75回に及び、その中でも特に2月の祈念穀祭、6月の御田植、7月の大祓、10月の宝の市、11月の新嘗祭は著名で多くの参詣者で賑わいをみせる。

浪花百景之内 住よし反橋

2019/08/04 10:11:11

浪花百景之内 住よし反橋

浪花百景の内 住吉神宮寺

2019/08/04 09:16:26

浪花百景の内 住吉神宮寺

祭神は一の神殿は底筒男命、二の神殿は中筒男命、三の神殿は表男筒命、四の神殿は神功皇后。摂社、末社、名所旧跡が多い。大小の祭祀は年に75回に及び、その中でも特に2月の祈念穀祭、6月の御田植、7月の大祓、10月の宝の市、11月の新嘗祭は著名で多くの参詣者で賑わいをみせる。

現在は神宮寺は無い。

浪花百景の内 住吉神宮寺

2019/08/04 10:17:42

浪花百景の内 住吉神宮寺

神宮寺跡は神仏混淆(こんこう)の名残りで、平安時代には有名神社のほとんどに設けられたという。当寺は天平宝字(てんぴょうほうじ)2年(758)創建と伝えられ、津守寺(廃寺)・荘厳浄土寺とともに住吉の三大寺に数えられていた。明治初年、神仏分離令により廃絶、多くの著名な秘仏も散逸したが、そのうち西塔は徳島県切幡(きりはた)寺に売却、移築され現存している。なお今に伝わる住吉踊りは、ここの僧徒により広められたものという。

浪花百景の内 住吉高灯籠

2019/08/04 09:26:19

浪花百景の内 住吉高灯籠

出見の浜にあって、夜間航行する船の目印になった灯台。方角を見失った時に住吉大神に祈るとこの灯籠の灯が煌々と輝いたという。現在は台風により倒壊した灯籠を再建したもので、元の位置から200メートル東に離れた、住吉公園西側の国道26号線沿いにある。

浪花百景の内 住吉高灯籠

2019/08/04 10:26:18

浪花百景の内 住吉高灯籠

現在は面影すら存在しない。
唯一右の軽のバンの後ろに小さな碑があるのと、阪神高速の下にかつてあった一三間川の名残が残るのみ。