河内と大和の國の石棺仏を訪ねる。1.

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現在の軌跡: 02 02 2020 06:58

プロフィールマップ

GPSログ解析

開始日時2020/02/02 06:58:39終了日時2020/02/02 11:21:42
水平距離61.20km沿面距離61.26km
経過時間4時間23分07秒移動時間3時間41分14秒
全体平均速度13.97km/h移動平均速度16.54km/h
最高速度43.83km/h昇降量合計869m
総上昇量434m総下降量435m
最高高度113m最低高度5m

レポート概要

前回 播磨の國の石棺仏を訪ねる。 https://map.cyclekikou.net/report.php?id=4817

で素朴な石棺仏にはまってしまったので、近場の河内/大和西部の石棺仏を訪ねてみた。




ウィキペディア(Wikipedia)より。

石棺仏のほとんどは近畿地方に分布し、その9割以上は兵庫県播磨地方、なかでも加古川流域を中心に加西市、加古川市と、その周辺都市に集中している。[1] しかし藤原時代等の古いものは大阪や奈良に散見することができる。
刻まれた仏像のほとんどが阿弥陀如来と地蔵菩薩であることから、浄土宗や浄土真宗の造形であることがわかる。主に阿弥陀如来は来世を、地蔵菩薩は現世を祈念している。
播磨地方の石棺仏の多くが、鎌倉時代、室町時代のもので、播磨地方の、浄土真宗の広がりと供に、民衆が、新田開発や盗掘、自然災害等で出土した石棺を信仰の対象や墓碑としたものである。
また厳密には石棺仏とは呼ばないが、石棺の蓋などを何も彫らずに立てかけて信仰の対象にしている場合もあり、石棺仏とは、石棺材に特別な霊力を認めての造形であろうと考えられる。[2]
これらは、日本の古墳時代と中世の、二つの息吹を同時に感じることができる、貴重な石造遺産である。

写真レポート

二上山に上る朝日

2020/02/02 07:04:39

二上山に上る朝日

これから訪れる二上山に朝日が昇る。

風は意外にも刺すような冷たさがない、いい自転車日和になりそうだ。



瑠璃光寺石棺仏

2020/02/02 07:57:25

瑠璃光寺石棺仏

柏原市の北部、八尾市との境近くの、山ノ井町の東の山麓に曹洞宗の小さな禅寺、瑠璃光寺がある。その瑠璃光寺の門を入った左側に小さな堂があり、石仏が三体、安置されている。

石棺仏の上部には盃状穴がいっぱい空いていて阿弥陀信仰とは別の信仰(おまじない?)もあったようだ。



瑠璃光寺石棺仏

2020/02/02 08:00:16

瑠璃光寺石棺仏

中央に高さ1.4m、幅75cmの石材に二重円光背を彫りくぼめ蓮華座に坐す像高67cmの如来像を半肉彫りした石仏がある。一見して石棺材を使ったとわかる石仏で、家形石棺の蓋を横断カットして使用していて、上部に蓋石の合わせ目部分が、上部外側に縄付き突起が残っている。

 如来像は右手をあげ、左手をさげて膝上に置くが、親指先を欠損しているため、尊名は断定できないが釈迦如来か阿弥陀如来と思われる。体部の充実感や衣紋の表現などから見て、藤原時代の造立と考えられる。左にある頭部が欠損する菩薩像も石棺仏である。



瑠璃光寺

2020/02/02 08:01:39

瑠璃光寺

この石仏もまたかつては野道の傍らに半ば埋もれていて、農具や刃物の砥ぎ跡が残っているとのこと。

生駒山麓にあり大阪市内が一望に見渡せる。



藤原石棺仏

2020/02/02 08:19:21

藤原石棺仏

JR大和路線「高井田」駅から西へ細い道を200mほど行ったところに、旧高井田集落があり、細い道路を抜けて住宅街の向かいの高井寺に沿った壁のところにあります。



藤原石棺仏

2020/02/02 08:19:54

藤原石棺仏

当石佛は石棺の蓋石のようではあるが、木漆棺の棺台石ではないかと思われる。

厚み6寸、長さ8.9尺、幅3.4尺の凝灰岩の一枚岩である。

定印の阿彌陀如来座像は、高さ3.6寸、髪院高3.1寸、膝張3尺、白豪高3尺、佛身6尺の坐像の姿である。

特に面相がよく当初のままの表情を残してノミのあとも鮮やかに藤原古風を見せる。藤原末の一木造佛に通した彫成で、大きく広い耳は目立たないが藤原円満の様相と言えよう。




藤原石棺仏

2020/02/02 08:20:25

藤原石棺仏

際立った顔立ちの素朴な美しさは藤原佛から脱出して活動期を迎える鎌倉期の先駆作という感じである。

肘が長く、膝までについた形と胸をせまくしているが、腹のくびれは荒いタッチの定印の手相、無紋式の衣の作りにマッチして藤原時代の大らかさが見られる。

大きい蓮辨3枚のように見えるが、裳懸座で、現在はセメントで塗り込められているが、この下に框座を重ねた線刻の台座があった。


古墳から取り出され、戸外の念佛者のために古墳埋葬者の供養もかねてこのような石棺佛造立の由来があったのであろう、

昔から高井寺たかいじにあったのではなく、以前は寺の西側の小川の上流の寺から道端に建立されたのが大和川に流出したものを川原から掘り出して、明治の頃に高井寺たかいじ門前に立てられていたという伝承を持っている。

(大念佛寺だいねんぶつじ・大源誌より)』 現地掲示板



大門所地蔵菩薩石棺仏

2020/02/02 08:33:07

大門所地蔵菩薩石棺仏

お堂の中に大切に祀られています。



大門所地蔵菩薩石棺仏

2020/02/02 08:33:07

大門所地蔵菩薩石棺仏

大門所地蔵菩薩石棺仏】(柏原市青谷) 谷尻地蔵より道なりに少し登った道角のお堂の中に大切に祀られています。近くの古墳より出たと言う石棺蓋石の内側に枠縁を残し隅取りして彫窪め、円形頭光を持つ像高1mばかりの地蔵菩薩立像を厚く刻み出しています。



大門所地蔵菩薩石棺仏

2020/02/02 08:33:34

大門所地蔵菩薩石棺仏

石棺は大きな縄掛け突起を持つ家形石棺で播磨産出の竜山石と呼ばれる凝灰岩で総高約2m。

地蔵菩薩は大きな錫杖を持つ定形の地蔵で古式な像容も良く、屋内でお祀りしているので保存状態も良い。



大門所地蔵菩薩石棺仏

2020/02/02 08:34:03

大門所地蔵菩薩石棺仏

像の下半両側に「正和二癸牛年十二月十□□末□之、一結衆」の刻銘があり、鎌倉時代後期1313年地域の人たちにより造顕されたようです。



峠八幡神社石造地蔵菩薩像

2020/02/02 08:48:29

峠八幡神社石造地蔵菩薩像

亀瀬越奈良街道の雰囲気が濃厚に残る道。

峠付近は江戸時代そのもの空気感が漂う。



峠八幡神社石造地蔵菩薩像

2020/02/02 08:49:19

峠八幡神社石造地蔵菩薩像

この場所は、江戸時代の亀瀬越奈良街道と雁多尾畑の光徳寺に通じる道が分岐する所です。 道標には「松谷御堂是ヨリ 六丁」と刻まれ、柘榴樹の下に建つ辻堂には石造の地蔵菩薩坐像が安置されています。
この像は花崗岩を浮き彫りしたもので、よく見られる立像の声聞形像と異なり、坐像になっています。地蔵坐像は反花を伴う蓮台の上に半跏趺座し、左手の掌に如意宝珠を載せ、持物のない右手は膝に垂下し、東部は長楕円形で、眉は鋭く、目・鼻・口の表現は整っています。
製作の年代は刻まれていませんが、こうした半跏趺座像は鎌倉時代以降に広まるといわれ、技術的にも秀でていることから、鎌倉時代末~室町時代初期の造像と考えられます。また延命地蔵として今でも広く信仰されています。 柏原市教育委員会



尼寺廃寺跡

2020/02/02 09:14:15

尼寺廃寺跡

古くから尼寺の集落内では古瓦が表採されることが知られており、北は尼寺北廃寺、南は尼寺南廃寺と呼ばれていました。このうち、尼寺北廃寺は発掘調査によって7世紀後半に造営された、北に金堂、南に塔を配置し、それらを回廊で囲んだ東に中門を設けた、東面する法隆寺式伽藍配置であったことがわかりました。現存するものとしては全国最大の塔心礎とともに、耳環などの舎利荘厳具(市指定文化財)もみつかりました。周辺には平野古墳群や平野窯跡群もあり、7世紀代の古墳と寺院、窯跡が近接して存在する数少ない地域です。そのため、古代における葛城地域の様相を考える上で重要な寺院として位置づけられています。

現地掲示板



正楽寺石棺仏

2020/02/02 09:26:22

正楽寺石棺仏

西名阪道香芝ICに北面する新興住宅のすぐ横に平野集落が在って、国史跡「平野塚穴山古墳」の東側台地に正楽寺が在る。

平野塚穴山古墳は現在2020/02/02整備工事が施工途中であった。



正楽寺石棺仏

2020/02/02 09:27:36

正楽寺石棺仏

正楽寺 阿弥陀石棺仏(市指定文化財、平安時代後期、凝灰岩、高さ 230Cm 像高 124Cm)

正楽寺境内のコンクリート製覆屋の中には、板状の二上山産凝灰岩(高さ230cm、幅95cm、厚さ15.5cm)に浅く線刻した阿弥陀如来座像が祀られています。銘文は記されていませんが、緩やかに波打つ線条は優美で、平安時代後期ごろの特徴をよく伝えています。

市内で同時代の石仏はほかに類例がなく、奈良県内でも北葛城郡広陵町南郷の伝弥勒石仏(県指定文化財)が知られているにすぎません。

なお、この板状石は古墳に伴う石棺の部材を転用したのではないかとする説がありますが、表面周囲端部に丸味がある以外はそれと確定できる痕跡は見つかっていません。

香芝市教育委員会



たんだの椿

2020/02/02 09:35:26

たんだの椿

昔、ここ平野に「平野千軒(ひらのせんげん)」といわれるほどのたくさんの家があった。庄屋の豪勢な屋敷は土塀に囲まれ、門から大きな椿の木が見えた。椿は、毎年いっぱいの花を咲かせた。落花は地面を紅色に覆い、村人らが見物に来たという。
 ところで、屋敷には若い娘さんが一人いたが、誰も顔を見たことがない。さぞかし美しかろうと村人は噂した。ある日、娘さんが重い病気を患い、医者や薬屋を呼ぶなど八方手を尽くしたが、良くならない。椿の木もなぜか枯れ始めた。庄屋の主人は下男にその木を切らせた。
 娘さんの病気がその後どうなったか誰も知らない。栄えていた「平野千軒」もやがてさびれたという。
 それから、どれほどの歳月が過ぎたか。谷田に一本の椿が大きく育った。「昔、切り倒した庄屋屋敷の椿のひこばえや。粗末にしたらあかん」と、根元に小さな祠(ほこら)が建てられ、今も大切に守られている。椿の枝を折ると、腹痛をおこすとか。



たんだの椿

2020/02/02 09:35:41

たんだの椿