浪速の名橋50選(改訂版)をポタってみた。その1

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現在の軌跡: 03 05 2020 06:52

プロフィールマップ

GPSログ解析

開始日時2020/05/03 06:52:11終了日時2020/05/03 11:12:00
水平距離52.62km沿面距離52.67km
経過時間4時間19分49秒移動時間3時間45分18秒
全体平均速度12.16km/h移動平均速度13.96km/h
最高速度38.76km/h昇降量合計687m
総上昇量359m総下降量328m
最高高度67m最低高度-25m

レポート概要

浪速の名橋50選(なにわのめいきょう50せん)とは、大阪市に架かる全橋梁を対象に社団法人 土木学会関西支部 が名橋として選定したものである。 以下の50橋が選定されている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

http://www.cvv.jp/CVV2/kengakukai/naniwa%20no%20meikyo/kaiteikeii.html


コロナ禍で出かけられないけど、ポタは基本一人だし誰とも会わないので、いいでしょうか?

個人的に好きな橋もあり、浪速の名橋50選+αでポタってみた。

写真レポート

住吉の反橋

2020/05/03 07:05:53

住吉の反橋

正面神池に架けられた神橋は「反橋」と称し、住吉の象徴として名高く「太鼓橋」とも呼ばれております。長さ約20m、高さ約3.6m、幅約5.5mで、最大傾斜は約48度になります。この橋を渡るだけで「おはらい」になるとの信仰もあり、多くの参詣者がこの橋を渡り本殿にお参りします。現在の石造橋脚は、慶長年間に淀君(太閤秀吉の妻)が豊臣秀頼公の成長祈願の為に奉納したと伝えられております。
かつての「反橋」は足掛け穴があいているだけで、とても危なかったそうです。

住??大社HP転記



住吉の反橋

2020/05/03 07:08:47

住吉の反橋

住吉大社の反橋は、豊臣秀頼が造営したものと伝えられているが、一説には、本社の修築を秀頼が行
い、反橋は淀君の造営にかかるともいわれている。桁や床板は木製であるため、たびたび架け換えなけれ
ばならず、古くは船大工の人々の奉仕で維持されてきた。近年も20年ほどの間隔で架け換えられており、現在の反橋は、平成21年(2009)に完成したものであるが、石造の橋柱や梁などは豊臣時代のままであるといわれている。
橋の規模は、長さ20m、幅5.8m、高さ4.4mで、最急勾配は逆算すると48度にもなる。反橋とは一般的に勾配の大きい橋をいうが、住吉の反橋の独特な曲線と規模の大きさは非常に特異なものといえよう。



大和橋

2020/05/03 07:20:11

大和橋

現在の大和川の下流部は、江戸時代の中期に付け替えられたもので、河内に流れ込んでいた旧河川は大雨ごとに氾濫を繰り返していた。大和橋は、紀州街道が大和川を渡るところに架けられた公儀橋であった。
最初の大和橋は、大和川の開削と平行して工事が進められ、宝永元年(1704)9月、川の通水に先立って完成、渡り初めが行われ、10月には堺奉行の管理となり、大和橋と命名されている。橋の規模は、橋長70間(137.9m)、幅員3間(5.9m)であり、以後この規模を守って維持補修がなされている。その後も洪水のたびに修 復が繰り返され、明治2年(1869)には堺県の手によって架け換えられている。
この橋も明治18年(1885)の大洪水によって大きな被害を受けたため、大正5年(1916)には大阪府の手によってはじめて鉄橋に架け換えられたが、橋の規模は江戸期のものとあまり変わらなかった。その後、昭和14年(1939)に大規模な補修が行われ、橋桁にはⅠ桁鋼、橋脚には鋳鉄柱が用いられ、橋長は192.9mとなった。
現在の大和橋は、橋の老朽化と大和川の河川改修のために、昭和49年10月に架け換えられたもので、橋長192m、有効幅員9.5m(2車線+両側歩道)の規模をもっている。橋梁形式は、3径間連続の斜張橋である
が、床版がコンクリートで設計上プレストレスしない合成桁の思想を取り入れた珍しいものである。 

シビル・ベテランズ&ボランティアズHP転記



大和川橋梁

2020/05/03 07:33:24

大和川橋梁



平林高架橋

2020/05/03 07:36:35

平林高架橋

関連リンク

形 式: 箱桁橋
橋 長: 311 m
最大支間長: 183.8 m
完 成: 1981年
所在地: 大阪府大阪市住之江区
管理者: 阪神高速道路公団
設 計: IHI,川重,松尾
施 工: IHI・川重・松尾JV
特 徴: 本橋は大阪市と堺市との境である大和川を渡河する付近に位置し,軟弱地盤上にあるため鋼床版箱桁が採用されました.箱桁断面は幅6.5m,高さが一般部で2.4m,中間支点付近で最大8.4mにも達し,この種の構造としてはわが国最大級です.箱桁の一部にHT80材が使用されています.



平林高架橋

2020/05/03 07:39:52

平林高架橋




かもめ大橋

2020/05/03 07:53:15

かもめ大橋

かもめ大橋(かもめおおはし)は、大阪南港に架かる橋。大阪市住之江区の南港南3丁目と南港南4丁目とを結ぶ。1975年に開通。

昭和50年度土木学会田中賞を受賞(大阪市が施工した橋梁では初)。

橋桁を80本のケーブルで吊り下げて荷重を分散させる構造のマルチケーブル型式の斜張橋であり、日本では初めての形式となった。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



南港水路橋

2020/05/03 08:05:33

南港水路橋

住之江区南港中3丁目・南港東5丁目と南港南2丁目・南港東4丁目の間を結んでいる。

橋の中央部には阪神高速4号湾岸線とニュートラム南港ポートタウン線が通っているため、北行き車線と南行き車線が分離している。どちらも、片側4車線の道路となっている。

架橋地が埋め立て地であるため、地盤が軟弱であり、基礎工事は困難を極めた。整地用のブルドーザーが一夜で地中に埋まってしまい、盗難騒ぎになった逸話がある。

一方、大阪南港東高架橋は、すでに架橋された南港大橋の間を通すため、単弦ローゼ橋を採用し、さらに下側に鉄道橋(ニュートラム線)を吊り下げた珍しい構造となっている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



港大橋

2020/05/03 09:23:20

港大橋

港大橋(みなとおおはし)は、大阪府大阪市港区海岸通3丁目と住之江区南港東9丁目を結ぶ全長980mのトラス橋である。トラス橋としての中央径間510mは日本最長で、世界第3位の長さである。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



港大橋

2020/05/03 08:22:23

港大橋

世界最大級の3径間ゲルバートラス橋(橋長980 m、 側径間235 m+中央径間510 m+側径間235 m)であり、前述の通り、上下2層のダブルデッキになっている。橋梁は赤色に塗装されている。

橋下を大型コンテナ船(4万トン級)が航行できるよう、海面から桁下まで50 m以上確保されている。支点上の主構高は68.5 mである。

建設にあたり、FEM解析を行ったり、強風による影響を確認するため模型による風洞実験が行われた。鋼材は全体で約35,000トン使用されたが、上部工断面をコンパクト化するため約5,000トンの超高張力鋼が採用された。当時の最新の技術が駆使されたことにより、1974(昭和49)年度の土木学会田中賞(作品部門)を受賞している。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



港大橋

2020/05/03 08:23:33

港大橋

港大橋の耐震設計は修正震度法が採用されており、長期間使用されることを考慮した経済的な設計となっていた。「道路橋示方書 V 耐震設計編」が出版される1980年(昭和55年)以前のものであり、想定された地震動の最大加速度は250 Galだった。

1995年(平成7年)の兵庫県南部地震による影響で港大橋も耐震連結装置などに損傷が発生した。そのため、上町断層を震源とした地震を想定したレベル2相当の地震動を考慮して再解析を行った結果、トラス構造部材の多くが降伏または座屈する可能性があることが判った。そのため、耐震補強工事が行われた。設計にあたり、従来の耐震補強設計とは異なり、免震・制振技術を採り入れ、トラスの断面力低減・降伏部材数減少を目的とした考えとした。なお、コストについては従来の耐震補強設計とした場合の約2/3で済んだとされている。この耐震補強工事により、2007(平成19)度に二度目の土木学会田中賞(作品部門)を受賞している。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



新木津川大橋

2020/05/03 08:49:49

新木津川大橋

新木津川大橋(しんきづがわおおはし)は、大阪市大正区船町1丁目と大阪市住之江区柴谷2丁目の間の木津川に架かるアーチ橋である。

中央部の橋長は495m、中央部のスパンは305m、総延長は2.4km、幅員は11.25m。アーチ橋としては完成当時日本最長で、また世界でも14位の規模を誇った。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



新木津川大橋

2020/05/03 08:53:40

新木津川大橋

新木津川大橋の最高地点からは大阪の町が見渡せる。
中でも

港大橋 なみはや橋 千島大橋 が一望できる。



新木津川大橋

2020/05/03 08:57:32

新木津川大橋

大阪市南西部に環状道路網を形成し、流通をスムーズにする目的で架設された。1994年に完成。

木津川の両岸には工業地帯が広がり、大型船が往来する関係で、橋の高さは最高地点で水面上50mの高さになっている。その関係で、取り付け道路部分が通常の橋と比較して長くなり、北側(大正区側)では3重のループになっている。この高さでは歩行者・自転車の利用が困難であるため、橋に沿って木津川渡という渡し船が運行されている。 施工は、片山ストラテック・川田工業・栗本鐵工所・駒井鉄工・サクラダ・高田機工・日本鋼管・日本鉄塔工業・日立造船・松尾橋梁・三井造船・日本橋梁・川崎重工業JVと三菱重工業・横河ブリッジ[1]である。



なみはや大橋

2020/05/03 09:27:26

なみはや大橋

大阪の名橋50選には入っていませんが、いいデザインの橋なので訪問した。
なみはや大橋(なみはやおおはし)とは、大阪市港区と大正区を結ぶ、尻無川に架かる全長1,740mの橋。大阪市道路公社が尻無川新橋有料道路として1995年2月供用開始し管理していたが、2014年4月1日に大阪市道路公社の解散に伴い無料開放された[1]。海岸通(大阪府道5号大阪港八尾線)の一部であり、徒歩でも渡れる。

橋下に水面上高さ45m・幅100mの航路を通すため橋の両端は急勾配になっている。夜景が綺麗な事でも有名。

また、橋を通る大阪シティバスの路線もある(72号系統)。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



なみはや大橋

2020/05/03 09:39:32

なみはや大橋

尻無川の最河口部にS字を描きながら軽快に渡っているのがなみはや大橋である。このあたりは港湾施設が立地しており、大型船の往来も激しいことから、高くかつ長い橋が必要となる。かつ両側の道路の方向が食い違っているため、曲線が可能な形式である箱型断面をもつ桁橋が採用された。中央部は3径間連続の箱桁橋で、S字のカーブが入った複雑な形になっている。中央のスパン250mは、桁橋では日本最大規模である。桁形式の橋は風によって有害な振動が発生しやすいため、設計に当たっては綿密な風動実験が行われた。

 港区側、大正区側ともにアプローチの高架橋の長さは500mを越え、全長で1.6kmにもなる長い橋になっている。
大阪市HP転記



千歳橋

2020/05/03 09:32:50

千歳橋

千歳橋(ちとせばし)は、大阪市大正区の大正内港に架かる橋。2003年(平成15年)4月開通し、土木学会田中賞を受賞した。

千歳橋は、大正区鶴町?同 北恩加島間への架橋により、市内中心部への交通を遠回りせざるを得なかった鶴町地区の交通の便を改善するとともに、大正通の交通混雑を緩和する目的で設置された。 大浪通を延長する形で架橋され、大正通の終端に接続している。

主橋梁部はアーチ橋とトラス橋が融合した2径間連続非対称ブレースドリブアーチ橋であり、鮮やかな青色に塗られている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



千歳橋

2020/05/03 09:55:49

千歳橋

2003年に完成した千歳橋は2代目である。大正時代から昭和時代にかけて、初代の千歳橋が架けられていた。初代千歳橋は1922年に架けられ、鶴町と対岸の新千歳町を結んでいた。

しかし大正内港の建設工事のため、初代千歳橋は1957年に撤去された。なお、当時対岸だった新千歳町は、町の大半が内港の中に沈んでいる。

初代千歳橋撤去の代替として千歳渡船場が開設され、歩行者や自転車の移動に供されている。2003年に開通した千歳橋は海面からの高さが28メートルあり、歩行者や自転車の利用には不便なことから、渡船は橋開通後も存続されている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



大正橋

2020/05/03 10:20:11

大正橋

大正橋(たいしょうばし)は、大阪府大阪市大正区三軒家東一丁目と同市浪速区幸町三丁目・木津川一丁目を結ぶ、木津川に架かる千日前通の橋。橋長80mの連続桁橋である。

船舶の出入が多いため無橋地帯だった勘助島(のちの大正区)へ向けて最初に架けられた橋で、市中心部と大阪市電で結ばれたことでアクセスが飛躍的に向上し、区名の由来となった橋でもある。

現在の橋は2代目で、初代の橋は日本一の支間長を誇るアーチ橋として架橋されたが、橋梁技術が未熟な時代の橋であったことなどから想定外の変形が発生し、補修・補強がくり返され、結局は架け替えとなった。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



大正橋

2020/05/03 10:18:13

大正橋

大正橋の東詰めの広場には「大地震両川口津浪記」という大津浪記念碑が設置されている。これは1854年(嘉永7年・安政元年)の安政南海地震の後に発生し大阪を襲った津波の被害と教訓を記したもので、安政2年7月に建立された[1][2]。碑文には「嘉永7年(1854年)、6月14日午前零時ごろに大きな地震が発生し市中一統驚いた。同年11月4日朝にも大地震が発生し地震を恐れて舟に乗り避難した。翌日夕方にも大地震が発生し津波がおしよせた。被害状況は・・」と具体的な被害状況を述べ「地震が発生したら津波がくることを心得ておき、舟での避難は絶対してはいけない。また建物は壊れ火事になる。なによりも「火の用心」が肝心、津波というのは沖から波が来るだけではなく、岸近くから吹き上がってくることもあり、津波の勢いは、普通の高潮とは違う」と細かい注意を書きのこした。

また、148年前(数え年、満147年前)の1707年宝永津波でも同様のことがあって2万人以上の犠牲者が出たとの記録もあり[3]、過去の教訓が生かせなかったことを悔やみ、後世の人が同じ被害を受けないよう、「つたない文だが、ここに書き残す。願わくば、心ある人は、文字が読みやすいように毎年墨を入れなおし、後の世に伝えていってほしい」と刻まれており、記述どおり地域の有志によって毎年墨入れが行われている[4]。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




木津川橋梁(大阪環状線)

2020/05/03 10:22:49

木津川橋梁(大阪環状線)

JR大阪環状線の大正~芦原橋間にあって一級河川木津川(大阪府)を跨ぐ橋梁です。下路ダブルワーレントラス橋で長さ106m。

昭和3年製。当時としては最大級のスパンを持っていた、大正駅を挟んで弁天町駅寄りにある岩崎運河橋梁も同じ構造で、それぞれ日本土木学会の現存する重要な土木構造物2800選に選ばれています。



岩崎運河橋梁

2020/05/03 10:26:54

岩崎運河橋梁

岩崎運河橋梁は、昭和3(1928)年に関西本線の貨物支線として今宮駅から分岐して大正を経由して大阪港へと至る大阪臨港線の開通に伴ってできたものです。

貨物専用線ということで、設計や製作工程を簡略化したために、このように武骨で頑丈なダブルワーレントラス橋になったわけですが、その構造のシンプルさゆえに美しい。



岩崎運河橋梁

2020/05/03 10:27:55

岩崎運河橋梁

当時は溶接構造が採用されていない時代なので、鋼材の固定は当然ながらリベットです。



岩崎運河橋梁

2020/05/03 10:28:28

岩崎運河橋梁



大浪橋

2020/05/03 10:10:46

大浪橋

大浪橋(おおなみばし)は、大阪市の木津川に架かる大浪通の橋である。大正区と浪速区を結んでおり、両区の頭文字をとって名付けられた。

大阪市の第二次都市計画事業によって都市計画道路難波泉尾線の橋として昭和9年(1934年)6月から工事が開始された。戦前に架橋された木津川の橋としては最も下流にあった。当時はこの場所を大きな船舶が頻繁に通っていたため、木津川を一跨ぎする橋脚のない橋となった。また橋の桁下高さを確保するため橋高がかなり高くなっている。当初は幅員が19.4mだったが、後に歩道部分がアーチの外側へ取り付け拡幅されて21.7mとなった。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



大浪橋  勘助島の渡し碑 

2020/05/03 10:10:46

大浪橋  勘助島の渡し碑 

「大浪橋のたもとにあります。
正面に「わたし 勘助島」。
右面に「すくちかみち なんば 今宮天王寺
住吉 あミ田池(阿弥陀池のこと) 道頓堀」といった地名が刻まれています。

かつて此処には渡船があった。



千本松大橋

2020/05/03 10:47:41

千本松大橋

千本松大橋(せんぼんまつおおはし)は、大阪府道5号大阪港八尾線の大阪市大正区南恩加島3丁目 - 大阪市西成区南津守2丁目間の木津川に架かるループ橋である。

大阪市の管理で、1973年(昭和48年)に架設された。両端部の2階式螺旋状坂路(720度ループ)を含めて道路長は1228mあり、橋の形状をメガネに見立てることから、地元ではめがね橋の愛称で呼ばれる。「千本松大橋」の名称は、江戸時代にこの地の木津川堤防に沿って多くの松が植えられていたことに由来している。

車道と歩道があり、自動車・歩行者ともに通行可能。橋を通るバスも存在する(詳細は大阪シティバスを参照)。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



千本松大橋

2020/05/03 10:51:35

千本松大橋

木津川の両岸には工業地帯や造船所が広がり、大型船が頻繁に航行していた。そのため、船の運航に考慮して通常の橋が架橋できなかった。

かつて自動車は上流の橋まで大きく迂回しなければならず、特に大正区南部の住民には交通面での不便を生じさせていた。交通の便を改善する目的で、桁下の高さを高くとったループ橋・千本松大橋が建設された。

しかし、橋が完成した同年、第一次オイルショックやそれに伴う著しい景気の悪化などの影響により、両岸にあった大型船を建造する造船所は一気に衰退したうえ、その他の工場でも規模を縮小したため、橋の完成と同時に航路高が33mも必要とする大型船の航行はなくなってしまっていた。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』